

「かゆみが治らないと思ったら皮膚がんだった」という話は実は珍しくありません。
有棘細胞癌(ゆうきょくさいぼうがん、英語名:Squamous Cell Carcinoma / SCC)とは、皮膚の表皮に存在する「有棘層」という中間層の細胞が悪性化して発生するがんです。日本では10万人あたり約2.5人に発症し、基底細胞癌に次いで2番目に多い皮膚がんとされています。
実は、かゆみや皮膚のざらつきは有棘細胞癌の前段階を知らせるサインである場合があります。つまり「ただのかゆみ」が、見逃せない初期症状である可能性があるということです。
日光角化症はその代表例で、長年にわたる紫外線ダメージによって皮膚細胞のDNAが傷つき、前がん病変として現れます。顔、頭皮、耳、手の甲など日光を多く浴びる部位に生じやすく、触るとざらざらとした感触や、刺すような痒みを感じることがあります。そのまま放置すると、有棘細胞癌へ移行する確率があるとされています。
初期の有棘細胞癌は一見すると湿疹に見えることが多く、ステロイド外用薬を塗り続けても2週間以上改善しない場合、あるいは独特の臭気を伴う場合は専門医への受診が必要です。がん研有明病院の情報によれば、「湿疹だと思っていたら有棘細胞がんだった」というケースが少なくないと報告されています。
高齢になるほど罹患リスクが上がる点も見逃せません。紫外線による長年の蓄積ダメージが背景にあるため、高齢者のかゆみや皮膚変化には特に注意が必要です。かゆみや湿疹状の変化が繰り返す場合は、自己判断で市販薬を使い続けず、皮膚科を受診するのが安全です。
参考:がん研有明病院 皮膚腫瘍科「有棘細胞がん」
https://www.jfcr.or.jp/hospital/department/clinic/disease/dermatological/contents3.html
有棘細胞癌の治療において、手術による切除が第一選択となります。その際に重要な概念が「切除マージン(側方マージン)」です。これは腫瘍の目に見える縁から何mm離して切除するかを示す幅のことで、取り残しがあれば局所再発につながります。
切除マージンは一律ではありません。それが大原則です。
日本皮膚科学会が2025年に改訂した「皮膚がん診療ガイドライン第4版」では、有棘細胞癌をリスクに応じて分類し、それぞれ異なるマージン幅を推奨しています。最低限必要なマージンは4mm(名刺の短辺の約1/4程度の幅)とされており、これは低リスク症例における基準値です。しかし、これはあくまでも「最低限」の数値であり、がん研有明病院のウェブサイトでも「最低限4mm離して切除する必要がある」と明記されています。
一方、高リスク症例では6〜10mmのマージン確保が推奨されます。10mmというと約1cm、つまり親指の爪幅ほどの余白を腫瘍の周囲に取り、正常組織ごと切除するということです。これは再発リスクを下げるために必要な幅です。
この基準は、1992年にBrodlandらが行ったMohs手術(モーズ手術)を用いた後ろ向き研究に基づいています。111例141病変の皮膚SCCを対象に15年間の追跡調査を行った結果として、低リスクでは4mm、高リスク因子(2cm以上の腫瘍径、Broders分類grade2以上の低分化型、頭部・耳・鼻・口唇・手足などのハイリスク部位)では6mmのマージンが必要であることが示されました。
参考:日本癌治療学会 がん診療ガイドライン 有棘細胞癌(SCC)
http://www.jsco-cpg.jp/guideline/21_2.html
有棘細胞癌の切除マージンを決定する上で、リスク分類の理解は欠かせません。ガイドラインでは腫瘍をリスクによって「低リスク群」「高リスク群」「超高リスク群」の3段階に分類し、それぞれ異なるマージン設定を行います。
低リスク群の定義は主に以下の通りです。
- 腫瘍径が体幹・四肢で20mm未満、頭頚部で10mm未満
- 組織学的に高分化型(Broders grade 1)
- 発症部位が顔面・耳・唇・頭皮・手足以外の「リスクの低い部位」
- 急速な増大なし、神経浸潤なし、再発ではない
これらの条件をすべて満たす場合は「低リスク群」とみなされ、4〜6mmのマージンが適切とされます。
高リスク群では状況が変わります。腫瘍径が顔面で10mm以上、体幹・四肢で20mm以上だったり、Broders grade 2以上の低〜中分化型であったり、耳・鼻・口唇・額・頭皮など再発しやすいとされる「ハイリスク部位」に発生している場合は、6mm以上のマージンが求められます。さらに神経浸潤の証拠がある場合や再発例では、10mm以上のマージンが必要となるケースも出てきます。
特に注目したいのが日本皮膚科学会第2版ガイドラインに掲載されたリスク表です。「顔(頬・額以外)・陰部・手足で6mm以上」「頭・頬・額・頸部・前脛骨部で10mm以上」という部位別の基準が記載されており、単に腫瘍の大きさだけでなく、どこに生じたかによってもマージンの目安が変わることがわかります。
高リスク群が全体症例の約79%を占めるというデータもあります。つまり「自分は低リスクだろう」という思い込みは危険です。実際にはほとんどの症例が、より広いマージンを要する高リスク群に該当しているわけです。
2025年5月に改訂された「皮膚がん診療ガイドライン第4版 有棘細胞癌診療ガイドライン2025」では、切除マージンに関して重要な変化が盛り込まれました。それが「縮小側方マージン」の提案です。
従来の常識では、高リスク症例ほど広いマージンを確保すべきというものでした。ところが2025年版ガイドラインでは、CQ2(クリニカルクエスチョン2)として「根治切除可能な有棘細胞癌原発巣切除において、既存のガイドライン推奨側方マージンと比べて縮小側方マージンでの切除は勧められるか?」という問いが設けられ、「縮小側方マージンでの切除を高リスク群、超高リスク群で行うことを提案する(弱い推奨)」という推奨が示されました。
これはどういう意味でしょうか?
具体的には、顔面など機能・外見の維持が重要で、広範切除が身体的・整容的に大きな負担となる部位では、最新のエビデンスに基づき従来より縮小したマージンで手術を行うことが「許容される」という判断です(推奨度2:提案)。ただし、すべての高リスク症例に縮小マージンを推奨するわけではなく、不完全切除率の上昇リスクも認識した上での「条件付き提案」です。
縮小マージンを選択する場合の前提として、Mohs手術(モーズ顕微鏡手術)またはCCPDMA(complete circumferential peripheral and deep margin assessment)という、切除断端を完全に確認できる手術手技を用いることが条件となります。通常の手術より手技が複雑ですが、局所再発率が低いことが知られています。通常切除の局所再発率が約8%であるのに対し、Mohs手術では約3%と有意に低いというデータもあります。
参考:日本皮膚科学会「皮膚がん診療ガイドライン第4版 有棘細胞癌診療ガイドライン2025」
https://www.dermatol.or.jp/dermatol/wp-content/uploads/xoops/files/guideline/yuukyoku2025.pdf
切除マージンの話は医師が決めることと思いがちですが、患者自身が基礎知識を持つことにも大きな意味があります。特に「かゆみが止まらない」「湿疹が治らない」といった段階で受診を迷っている方にとって、この知識は早期発見・早期治療につながる可能性があります。
日光角化症などの前がん病変の段階では、まだ浸潤性SCCになっていないため、治療はより低侵襲で済みます。凍結療法や外用薬(イミキモドなど)で対応できる場合もあり、切除マージンの問題自体が発生しないこともあります。これは重要なポイントです。
しかし、真皮への浸潤が始まった有棘細胞癌になると話が変わります。リンパ節転移のリスクが生まれるため、より広いマージンと、場合によってはセンチネルリンパ節生検が必要になってきます。腫瘍径2cm以下・転移なしの場合は5年生存率がほぼ100%ですが、2cmを超えると約85%、遠隔転移がある場合は3年生存率が約45%まで下がるというデータがあります。この差は、発見と治療のタイミングに直結しています。
患者として知っておくべきことは、主治医に「私の腫瘍はどのリスク群に分類されますか?」「マージンはどのくらい取る予定ですか?」と具体的に尋ねることで、治療方針への理解が深まるということです。また、手術後2年以内にリンパ節転移が発見される症例が60〜80%を占めるという報告もあるため、術後の経過観察も大切です。首・わきの下・足の付け根などのリンパ節に腫れや硬さを感じた場合は、すぐに担当医に相談するようにしましょう。
さらに実践的な視点として、日ごろから日焼け止め(SPF30以上・PA+++以上を目安)を顔・手の甲などに塗る習慣は、有棘細胞癌の前段階となる日光角化症の予防に有効です。紫外線ダメージは長年かけて蓄積されるため、今からでも継続的なUV対策を行うことには意義があります。
参考:スキンキャンサーファウンデーション「日光角化症の警告サインと画像」
https://www.skincancer.org/ja/skin-cancer-information/actinic-keratosis/actinic-keratosis-warning-signs-and-images/