

術後のかゆみを放置すると、傷あとが1年以上消えないことがあります。
皮弁手術とは、皮膚や皮下組織を血管ごと別の部位に移植し、欠損部を再建する手術です。乳がん術後の乳房再建(広背筋皮弁・腹直筋皮弁など)や、皮膚がんの切除後再建、外傷後の修復など、適応は幅広くあります。切除範囲が広い分、傷口も大きくなりやすく、術後のケアが傷あとの仕上がりを大きく左右します。
術後の傷は「炎症期(縫合直後〜3日)」「増殖期(3日〜数週間)」「成熟期(3週間〜1年以上)」の3段階を経て治癒していきます。かゆみが出始めるのは主に増殖期で、新しい細胞が盛んに増殖し始める時期です。
かゆみが生じる主な原因は、ヒスタミンというケミカルメディエーターの分泌です。皮膚が損傷を受けると、肥満細胞(マスト細胞)からヒスタミンが放出され、かゆみの感覚神経を刺激します。これは修復プロセスの一環であり、異常ではありません。つまり「かゆい=治ってきている証拠」と言えます。
ただし、かゆみを感じる時期は術後から3ヶ月程度をピークとして続くことが多く、体質によってはそれ以上になる場合もあります。自治医科大学形成外科の情報によれば、通常は術後1〜2ヶ月を過ぎると赤みが減り軟らかくなっていきますが、いつまでも赤みが引かずにチクチクするような痒みが続く場合は「肥厚性瘢痕(ひこうせいはんこん)」になっている可能性があります。
かゆみが治癒の一部だということですね。
| 時期 | 傷の状態 | かゆみの度合い |
|---|---|---|
| 縫合直後〜3日 | 炎症期・傷口閉鎖中 | ほぼなし(痛みが主) |
| 3日〜3ヶ月 | 増殖期・細胞活発 | ★★★ 最も強い |
| 3ヶ月〜6ヶ月 | 成熟期・赤み軽減 | ★★☆ 徐々に減少 |
| 6ヶ月〜1年以上 | 成熟完了へ | ★☆☆ ほぼ落ち着く |
日本医科大学形成外科主任教授・小川令先生(ニチバン監修)によれば、増殖期に物理的刺激が加わると炎症が継続し、赤く盛り上がった目立つ傷あと(肥厚性瘢痕・ケロイド)に移行するリスクが高まります。この段階でどう対応するかが、術後の仕上がりを決定する分岐点です。
傷あとの治癒過程について詳しく解説されています。
手術の傷(縫った傷)の治る過程 ニチバンの傷あとケア(日本医科大学形成外科監修)
かゆみが強いとき、思わず傷跡を掻いてしまいたくなります。しかしこれが最大のNGです。
掻く行為そのものが「物理的刺激」となり、ヒスタミンの分泌をさらに促進します。加えて掻き傷が新たな炎症を引き起こし、傷あとがどんどん肥厚していきます。一度肥厚性瘢痕になった傷あとは、自然に完全消失することは難しく、治療に数ヶ月〜1年以上かかることもあります。痛いですね。
以下に皮弁手術後にやってはいけないNG行動をまとめます。
これらは特に術後3ヶ月以内に重要です。
意外に見落とされがちなのが「テープをはがす時の刺激」です。傷あとを保護するテープを乱暴にはがすだけでも炎症の引き金になります。入浴後など皮膚がふやけて柔らかくなった状態でゆっくりはがすのが原則です。
ケロイド・肥厚性瘢痕の発症リスクと治療の詳細はこちらで確認できます。
ケロイド・肥厚性瘢痕について(自治医科大学形成外科学講座)
かゆみを感じたとき、掻かずに対処するための具体的な方法があります。
まず最初に有効なのが冷却です。保冷剤や氷をタオルに包み、傷あと周辺にやさしく当てます。冷却によってかゆみを引き起こす知覚神経の興奮が鎮まり、症状が和らぎます。直接肌に当てると凍傷の恐れがあるため、必ずタオルで包んで使用してください。
次に重要なのが保湿です。皮膚が乾燥するとかゆみが増します。傷が完全に閉じてから(一般的には術後1〜2週間)、医師の許可を得た上で保湿剤を塗布します。ヘパリン類似物質(ヒルドイドなど)は、過度な血管増殖を抑えながら保湿する成分として、形成外科でも使用が推奨されています。さらに炎症を抑える「グリチルリチン酸二カリウム」や、表皮増殖を促す「アラントイン」を含む市販薬も効果的です。これは使えそうです。
3つ目が医療用テーピング・シリコンシートによる保護です。傷あとを覆うことで摩擦・伸展刺激・紫外線から同時に守ることができます。一般的に抜糸後から約3ヶ月間の継続使用が推奨されており、マイクロポアサージカルテープ(1ロール約400〜500円)やシリコンゲルシートが代表的な選択肢です。テーピングは傷に対して垂直方向に貼り、傷が引っ張られないようにすることがポイントです。
かゆみのピーク時(術後1〜3ヶ月)に、これらのケアを組み合わせて継続することが大切です。特に外出時は傷あと部分へのUV対策を忘れずに。炎症後の色素沈着は紫外線で大幅に悪化するため、日焼け止めをこまめに塗り直すか、テープで遮光する習慣をつけましょう。
かゆみを伴う傷あとの対処法について専門家が解説しています。
かゆみを伴う傷跡(きずあと)の対処法(小林製薬・形成外科医師監修)
セルフケアだけでは対応しきれない段階があります。その判断ポイントを知っておきましょう。
術後1〜2ヶ月を過ぎても傷あとの赤みが引かず、チクチクするかゆみや痛みが続いている場合は「肥厚性瘢痕」が疑われます。さらに元の傷の範囲を超えて赤い盛り上がりが広がり始めたら「ケロイド」への移行サインです。この場合は形成外科への受診が必須です。
肥厚性瘢痕とケロイドは似ていますが異なります。肥厚性瘢痕は傷の範囲内に収まり、2年程度で自然に落ち着く可能性があります。一方、ケロイドは傷の範囲を超えて拡大し、自然治癒が期待しにくい疾患です。ケロイドのリスクが高い体位として、胸・肩・耳たぶ・下腹部(帝王切開後)が知られています。
形成外科で行われる主な治療法は以下のとおりです。
治療は「組み合わせ」が原則です。
なお、ケロイド体質の有無は遺伝的要因も関係しています。家族にケロイドの方がいる場合、または以前の手術後にケロイドになったことがある場合は、皮弁手術前に医師に申告しておくことが重要です。術前から予防的なケアを始めることで、術後の肥厚性瘢痕・ケロイドへの移行リスクを下げることができます。
肥厚性瘢痕・ケロイドの治療法一覧を詳しく掲載しています。
傷跡の治療について(日本創傷外科学会)
これはあまり知られていない事実ですが、皮弁手術の術後は一時的に感覚が鈍くなります。
皮弁を移植した部位では、神経の再接続がまだ完成していないため、術直後は「かゆみどころか感覚がない」という状態が多いです。この感覚鈍麻は数週間〜数ヶ月続くことがあります。
ところが、神経が再生し始めると、遅れてかゆみや痛みが現れ始めます。「術後2〜3ヶ月で感覚が戻ると痛みやかゆみが出てくる」という経過は、形成外科の術後説明でも標準的に記載される内容です。つまり、術後しばらく何も感じなかったのに突然かゆくなってきた場合は、神経の回復が進んでいるサインである可能性が高いです。
感覚が戻ってきたということですね。
ただし、注意が必要な点もあります。感覚が戻り始める時期に傷あとが赤くなり、かゆみと同時に硬さや盛り上がりが増してきた場合は、単なる回復過程ではなく肥厚性瘢痕が形成されている可能性があります。この場合は自己判断でマッサージや市販薬のみで対応するのではなく、形成外科を受診して状態を確認してもらうことを推奨します。
また、皮弁採取部(例えば広背筋皮弁であれば背中、腹直筋皮弁であればお腹)も傷あとが残り、かゆみが生じます。移植部位と採取部位、2か所分のケアが必要になる点も覚えておきましょう。採取部は面積が大きくなることも多く、ケアが不十分になりがちです。採取部位も含めた包括的なテーピングや保湿ケアが、傷あとをきれいに仕上げるためには欠かせません。
乳房再建を例にした術後の経過とケアの全体像が詳しく掲載されています。
自家組織移植による乳房再建術後の経過とケア(SURVIVORSHIP.JP)