

競馬ファンにとって最も聞きたくない言葉、それが「予後不良」です。多くの人が「なぜ脚を骨折しただけで殺さなければならないのか?」「人間のようにギプスや手術で治せないのか?」という疑問を抱きます。しかし、そこにはサラブレッドという動物特有の、あまりにも繊細な身体の構造と生理学的な限界が存在します。
まず、競走馬の体重は500kg近くありますが、その巨体を支えているのは「4本の細い脚」だけです。もし1本の脚を骨折し、地面につけなくなると、残りの3本(特に対角線上の脚)に強烈な負荷がかかります。馬は人間のようにベッドで長期間寝たきりになることができません。内臓が非常に大きく重いため、長時間横になっていると自分の体重で肺や心臓が圧迫され、不全を起こして死んでしまうからです。
参考)なぜ競走馬の予後不良は絶えないのか?骨折で安楽死の診断が下さ…
そのため、馬は骨折しても立ち続けなければなりません。ここで発生する最大の問題が「蹄葉炎(ていようえん)」という恐ろしい合併症です。
「予後不良」という診断は、単に「レースに戻れない」という意味ではありません。「放置すれば蹄葉炎や多臓器不全により、地獄のような苦しみを味わって死ぬことが確実である」という医学的な判断なのです。
参考)予後不良 (競馬) - Wikipedia
かつての名馬テンポイントは、骨折後にファンや関係者の願いを受けて手術と闘病生活を送りましたが、最終的には蹄葉炎による敗血症で、目も当てられないほど衰弱して亡くなりました。この悲劇的な教訓から、現代の競馬界では「苦しみを長引かせないことが最後の救い(安楽死)」という考え方が定着しています。
参考)競馬における予後不良とは?有名G1馬5頭の事例とともにわかり…
骨折した競走馬はなぜ安楽死処分となるのか?その理由【予後不良の意味】
(この記事では、安楽死が選択される医学的・倫理的な理由が詳細に解説されており、特にテンポイントの事例が詳しく紹介されています)
競馬の歴史は、栄光の歴史であると同時に、悲劇の歴史でもあります。G1レースという最高峰の舞台で輝かしい実績を残しながら、レース中の事故や調教中の怪我により、志半ばでこの世を去った名馬たちは数多く存在します。彼らの死は多くのファンに衝撃を与え、安全対策や馬場改修のきっかけともなりました。
ここでは、特にファンに愛されながらも予後不良となった主なG1馬を振り返ります。
| 馬名 | 主な勝ち鞍 | 発生した事故・状況 |
|---|---|---|
| サイレンススズカ | 宝塚記念 | 1998年天皇賞(秋)のレース中、圧倒的なリードで逃げていた3コーナー手前で左手根骨粉砕骨折を発症。その場で競走中止し、安楽死。 |
| ライスシャワー | 天皇賞(春)、菊花賞 | 1995年宝塚記念。京都競馬場の第3コーナーで転倒し、左第一指関節開放脱臼。予後不良と診断され、コース上で幕が引かれた。 |
| テンポイント | 天皇賞(春)、有馬記念 | 1978年日経新春杯。66.5kgの斤量を背負い、左後肢を骨折。闘病生活を送るも蹄葉炎を併発し死亡。 |
| ホクトベガ | エリザベス女王杯 | 1997年ドバイワールドカップ。レース中に転倒し、複雑骨折。異国の地で安楽死となった。 |
| ラインクラフト | 桜花賞、NHKマイルC | 現役中に放牧先で急性心不全のため急死(予後不良の診断とは異なるが、突然の別れとして並記されることが多い)。 |
| リバティアイランド | 牝馬三冠 | 2025年の海外遠征(クイーンエリザベス2世C)において左前脚種子骨靱帯断裂を発症し、予後不良の診断が下された。 |
特に2025年に発生したリバティアイランドの事故は、記憶に新しい悲劇です。現役最強牝馬としての期待を背負った海外遠征での出来事であり、現代の高度な医療をもってしても救えなかった事例として、改めてサラブレッドの脚部の脆さを世界に突きつけました。
参考)https://dic.pixiv.net/a/%E4%BA%88%E5%BE%8C%E4%B8%8D%E8%89%AF
これらの事故は「馬場が硬すぎたのではないか」「ローテーションに無理があったのではないか」といった議論を巻き起こし、その後のJRAによる馬場造りや、調教技術の見直しに大きな影響を与えています。
予後不良と診断された著名な馬のリストと詳細
(予後不良の定義から、実際に診断された名馬たちの詳細なリストまでが網羅的に記載されています)
数ある予後不良の事例の中でも、1998年11月1日の東京競馬場、天皇賞(秋)で起きた「沈黙の日曜日」は、今なお多くの競馬ファンの心に深い傷跡を残しています。稀代の逃げ馬、サイレンススズカの最期は、速すぎた天才の宿命として語り継がれています。
あの日、サイレンススズカは単勝1.2倍という圧倒的な支持を受けていました。ゲートが開くと同時に先頭に立ち、1000m通過57秒4という驚異的なハイペースで後続を突き放しました。「このままどこまで行ってしまうのか」と観客が夢を見た矢先、魔の瞬間が訪れました。
武豊騎手はその夜、泥酔するほど酒をあおり「夢であってくれ」と泣いたと伝えられています。この出来事は、サラブレッドがいかにギリギリの極限状態で走っているか、そしてその美しさと引き換えにある「脆さ」を、残酷な形で証明することになりました。彼の死後、彼が愛した「左回り」の東京競馬場でのレースを見るのが辛いというファンも現れるほど、その影響は甚大でした。
参考)サイレンススズカはなぜ天皇賞・秋で骨折し“安楽死”したのか?…
サイレンススズカはなぜ天皇賞・秋で骨折し“安楽死”したのか
(当時のレース展開や武豊騎手の心情、そしてなぜ安楽死という選択しかなかったのかが詳細に描かれた記事です)
悲しい事故が続く一方で、獣医学の進歩は着実に「救える命」を増やしつつあります。かつてであれば即座に予後不良と診断されたような骨折でも、最新技術によって競走能力を取り戻したり、少なくとも繁殖馬として命をつないだりするケースが出てきています。これは、過去の尊い犠牲の上に積み上げられた研究の成果です。
現在、注目されている医療技術には以下のようなものがあります。
さらに、CTやMRIといった高度な画像診断装置がトレセンや馬病院に導入されたことで、「折れる前」の微細な骨のヒビや疲労を発見できるようになりました。予後不良を減らすための最大の武器は、早期発見による「予防」なのです。
もちろん、すべての馬を救えるわけではありません。粉砕骨折のような重篤なケースでは、依然として安楽死が唯一の慈悲である現実は変わりません。しかし、獣医師や関係者たちは「1頭でも多くの馬を救いたい」という執念で、日々技術を磨き続けています。
競走馬に対するショックウェーブ治療について
(衝撃波治療のメカニズムや、実際に骨折や腱炎の治癒が促進された臨床データが専門的に解説されています)