血液脳関門を通過できるものと分子量の関係
血液脳関門を通過する条件である分子量500以下と脂溶性
私たちの脳は、生命活動のコントロールタワーという極めて重要な役割を担っているため、外敵や有害物質から厳重に守られています。その守りの要となるのが「血液脳関門(Blood-Brain Barrier: BBB)」という特殊なバリアシステムです。皮膚のかゆみに悩む方が服用する薬が効くか、あるいは副作用が出るかも、実はこのバリアを通過できるかどうかに大きく左右されています。
血液脳関門を通過できるものには、物理化学的な厳密なルールが存在します。その最も基本的な条件が「分子量」と「脂溶性(油への溶けやすさ)」です。
- 分子量の壁(400〜500ダルトン以下):
脳の毛細血管の内皮細胞は、「タイトジャンクション(密着結合)」と呼ばれる構造で細胞同士が隙間なく結合しています。一般的な体の血管には小さな隙間があり物質が出入りしやすいのですが、脳ではこの隙間が閉じられているため、大きな分子は物理的に通ることができません。この限界値がおおよそ分子量400〜500ダルトン(Da)とされています。これより大きな物質は、特別な運搬システムを使わない限り、脳内に入ることができません。
- 脂溶性の重要性:
細胞膜は脂質(油)の二重層でできています。そのため、水に溶けやすい「水溶性」の物質よりも、油に溶けやすい「脂溶性」の物質の方が、細胞膜をすり抜けて拡散しやすくなります。アルコールやカフェイン、ニコチンなどが摂取後すぐに脳に影響を与えるのは、これらの分子量が小さく、かつ高い脂溶性を持っているため、血液脳関門を容易にすり抜けてしまうからです。
このように、血液脳関門は「小さくて油に馴染むもの」を通し、「大きくて水に馴染むもの」を拒絶するという基本的な性質を持っています。しかし、この性質こそが、かゆみ止めの薬(抗ヒスタミン薬)を飲んだ時に「眠くなる」か「眠くならないか」の分かれ道となっているのです。
参考リンク:脳科学辞典 - 血液脳関門(循環血液と脳実質間での物質輸送の制御メカニズムについて詳細に解説されています)
参考リンク:Wikipedia - 血液脳関門(クローディン5などのタイトジャンクション構成タンパク質や分子量選択的バリア機能について記述があります)
かゆみ止めの抗ヒスタミン薬が脳内移行して眠気を起こす仕組み
皮膚のかゆみに悩んでいる人の多くが処方される「抗ヒスタミン薬」。この薬を飲むと強烈な眠気に襲われた経験がある方も多いのではないでしょうか。これは、薬が血液脳関門を「通過してしまった」結果として起こる現象です。
本来、ヒスタミンという物質は、皮膚などの末梢組織では炎症やかゆみを引き起こす原因となりますが、脳内(中枢神経)では全く異なる働きをしています。脳内のヒスタミンは、覚醒状態の維持、集中力、記憶の定着、食欲の抑制などに関わる重要な神経伝達物質です。つまり、脳内のヒスタミンは「頭をシャキッとさせる」ために働いています。
- 脳内移行と鎮静作用のメカニズム:
かゆみを止めるために飲んだ抗ヒスタミン薬が、血液脳関門を通過して脳内に入り込んでしまうと、脳内のヒスタミン受容体(H1受容体)までブロックしてしまいます。すると、覚醒レベルが低下し、「眠気」「集中力の低下」「インペアード・パフォーマンス(自覚のない能力ダウン)」といった副作用が引き起こされます。これを「鎮静性」と呼びます。
- 古いタイプの薬(第1世代):
開発された時期が古い「第1世代抗ヒスタミン薬」の多くは、分子量が小さく、かつ脂溶性が高い構造をしていました。そのため、皮膚のかゆみを止めるだけでなく、血液脳関門を簡単に通過して脳内に入り込み、強力な眠気を引き起こしてしまいます。市販の睡眠改善薬(ドリエルなど)は、この「副作用」を逆手に取って利用したものです。
逆に言えば、かゆみだけを止めたい場合は「脳に入らない薬」を選ぶ必要があります。最近の皮膚科治療では、この血液脳関門の通過性質を考慮した処方が一般的になっています。
参考リンク:医薬品医療機器情報提供ホームページ - レスタミンコーワ(第1世代抗ヒスタミン薬の代表例であるジフェンヒドラミンの添付文書情報)
脳を守るバリアを通過できない水溶性物質とトランスポーター
先ほど、「分子量が大きく水溶性のものは通過できない」と説明しました。しかし、ここで一つの疑問が浮かびます。脳のエネルギー源である「グルコース(ブドウ糖)」や、神経伝達物質の材料となる「アミノ酸」は水溶性であり、分子量もそれなりにあります。これらが通過できなければ、脳はガス欠で死んでしまいます。
実は、血液脳関門には、必要な栄養素だけを選択的に取り込むための専用の扉、すなわち「トランスポーター(輸送体)」が存在します。
- グルコーストランスポーター(GLUT1):
脳は大量のエネルギーを消費する臓器ですが、そのエネルギー源であるグルコースは水溶性のため、脂質の膜をそのままでは通過できません。そこで、血管内皮細胞の膜には「GLUT1」というグルコース専用の輸送タンパク質が多数配置されています。これがグルコースをキャッチし、バリアの内側へと送り込んでいます。
- アミノ酸トランスポーター(LAT1など):
脳内ホルモンの材料となる必須アミノ酸(フェニルアラニン、チロシン、トリプトファンなど)も、専用のトランスポーター(LAT1)を使って積極的に脳内へ汲み上げられています。
一方で、脳にとって不要なものや有害な薬物を「汲み出す」トランスポーターも存在します。その代表が「P糖タンパク質(P-glycoprotein)」です。これが、現代の「眠くなりにくいかゆみ止め」の鍵を握っています。
- P糖タンパク質の排出機能:
P糖タンパク質は、血液脳関門の細胞膜に存在し、脳内に入り込もうとする異物や薬物を検知して、血液側へ汲み出すポンプのような役割を果たしています。一部の新しい抗ヒスタミン薬は、このP糖タンパク質によって「脳に入ろうとしても追い出される」ように設計されているため、脳内での副作用が出にくくなっているのです。
参考リンク:細胞加工施設 - 血液脳関門(BBB)とは?(トランスポーターによる積極的輸送やエネルギー依存性の受容体介在輸送について解説)
参考リンク:認知症ねっと - 血液脳関門の働きについて(必要な物質を取り込む専用システムの詳細)
ストレスが血液脳関門のバリア機能を低下させる意外なリスク
皮膚のかゆみはストレスで悪化することがありますが、実はストレスそのものが、脳を守る「血液脳関門」のバリア機能を低下させてしまうという驚きの研究結果があります。
通常、血液脳関門は非常に強固なガードですが、決して不変の壁ではありません。体調や環境によってその透過性は変化します。特に注目されているのが、「慢性的なストレス」と「血管内皮増殖因子(VEGF)」の関係です。
- ストレスによるバリアの「緩み」:
国立精神・神経医療研究センターなどの研究によれば、持続的なストレスを受けると、体内で「VEGF」というタンパク質が増加します。このVEGFには血管の透過性を高める作用があり、脳の毛細血管にあるタイトジャンクション(細胞同士の結合)の主要成分である「クローディン5」の発現を低下させてしまうことが分かっています。
- Leaky Brain(漏れる脳)のリスク:
バリア機能が低下すると、本来脳に入るべきではない大きな分子や、血液中の炎症性物質が脳内に侵入してしまう可能性があります。これを「Leaky Brain(リーキーブレイン)」と呼ぶこともあります。
かゆみによるイライラやストレスが続くと、血液脳関門が緩み、結果として脳内環境が悪化して、うつ症状や不安感が増大する悪循環に陥る可能性があるのです。
「かゆみで眠れない、イライラする」という状態は、単に皮膚の問題だけでなく、脳のバリア機能を守るという意味でも早めの対処が必要と言えます。ストレスケアは、間接的に血液脳関門の健全性を保つことにもつながるのです。
参考リンク:国立精神・神経医療研究センター - 持続的なストレスによって血液脳関門の機能が低下するメカニズム(VEGFとクローディン5の関係を示した研究プレスリリース)
第1世代と第2世代抗ヒスタミン薬の分子量と脳内受容体占拠率
最後に、具体的にどのかゆみ止め薬が脳に入りやすく、どれが入りにくいのかを比較してみましょう。薬の効果と副作用のバランスを見る指標として「脳内受容体占拠率」というデータが用いられます。これは、脳内のH1受容体のうち、何%が薬によってブロックされてしまったかを示す数値です。
一般的に、この数値が50%を超えると強い眠気や鎮静作用が現れ、20%以下であれば非鎮静性とみなされます。
- 第1世代抗ヒスタミン薬(脳に入りやすい):
- 第2世代抗ヒスタミン薬(脳に入りにくい):
- 代表薬: フェキソフェナジン(アレグラ)、ビラスチン(ビラノア)、ロラタジン(クラリチン)
- 特徴: 分子量が比較的大きい(約450〜500以上)、親水性(水溶性)が高い基を持たせている、またはP糖タンパク質の排出対象になっている。
- 脳内移行: 非常に低い。フェキソフェナジンやビラスチンなどは、脳内受容体占拠率がほぼ0%に近いというデータもあります。
- 影響: かゆみ止め効果を維持しつつ、眠気がほとんど出ない。
分類 薬剤名(成分名) 分子量(MW) 脳内への入りやすさ 特徴 第1世代 レスタミン(ジフェンヒドラミン) 255.35 入りやすい(高) 脂溶性が高く低分子。強い眠気。 第2世代 ジルテック(セチリジン) 388.89 やや入る(低) 効果は強いが、人によっては少し眠気が出る。 第2世代 アレグラ(フェキソフェナジン) 501.68 ほぼ入らない 分子量が大きく、P糖タンパクで排出される。 第2世代 ビラノア(ビラスチン) 463.61 ほぼ入らない 脳内占拠率ほぼ0%。空腹時服用が必要。 このように、分子量を大きくしたり、脂溶性を下げて水に溶けやすく改良したりすることで、最新の薬は「脳には入らず、皮膚にだけ効く」ように進化しています。かゆみ治療においては、ご自身のライフスタイルに合わせて、医師と相談しながら最適な「分子量」の薬を選ぶことが重要です。
参考リンク:小児耳鼻咽喉科 - 抗ヒスタミン薬の選択について(脳内ヒスタミンH1受容体占拠率と分子量の関係についての論文PDF)
参考リンク:管理薬剤師.com - 抗ヒスタミン薬の種類(各薬剤の分子量、半減期、脳内移行性の違いが一覧で確認できます)


