ステロイド剤の副作用と糖尿病
ステロイド剤が血糖値を上昇させるメカニズムと糖尿病のリスク
ステロイド剤は、アレルギー性疾患、膠原病、喘息など、さまざまな病気の治療に用いられる非常に重要な薬です 。その強力な抗炎症作用や免疫抑制作用は多くの患者さんを救う一方で、いくつかの副作用も知られています。その中でも特に注意が必要なのが「ステロイド糖尿病」です 。これは、ステロイド剤の影響で血糖値が上昇し、糖尿病を発症したり、もともとの糖尿病が悪化したりする状態を指します 。
では、なぜステロイド剤は血糖値を上げてしまうのでしょうか?主なメカニズムは3つあります。
- 肝臓での糖新生の促進: ステロイド剤は、肝臓でアミノ酸などから糖を作り出す「糖新生」という働きを活発にします 。これにより、食事から糖分を摂っていなくても、体内で糖がどんどん作られて血糖値が上昇します。
- インスリン抵抗性の増大: インスリンは、筋肉や脂肪組織が血液中の糖を取り込むのを助け、血糖値を下げるホルモンです。ステロイド剤は、このインスリンの効きを悪くする「インスリン抵抗性」を引き起こします 。インスリンが効きにくくなると、血液中の糖が細胞にうまく取り込まれず、血糖値が高いままになってしまいます。
- インスリン分泌の抑制: ステロイド剤は、血糖値を下げる唯一のホルモンであるインスリンを分泌する、膵臓の働きを直接的に低下させる可能性も指摘されています 。
これらの作用が複合的に絡み合うことで、血糖値が上昇しやすくなるのです。ステロイド糖尿病の発症リスクは、ステロイドの投与量や投与期間に比例して高くなる傾向があります 。特に、高齢者、肥満、糖尿病の家族歴があるなど、もともと2型糖尿病のリスクが高い人は、ステロイド治療を開始する際に特に注意深い経過観察が必要です 。最近の研究では、ステロイドの全身投与によって糖尿病の発症リスクが2倍以上に高まるという報告もあり、医療従事者の間でも改めてそのリスク管理の重要性が認識されています 。
ステロイドと血糖値のメカニズムについて、さらに詳しい学術情報が記載されています。
大阪大学大学院医学系研究科:ステロイドによる糖尿病発症メカニズムの一端を解明
ステロイド糖尿病の具体的な症状と診断基準
ステロイド糖尿病は、一般的な糖尿病とは少し異なる特徴を持っています。最も特徴的なのは、血糖値の上がり方です。通常の糖尿病では空腹時血糖値も高くなることが多いですが、ステロイド糖尿病(特にプレドニゾロンなどを朝1回内服する場合)では、朝食前の空腹時血糖値は正常か、むしろ低めであるにもかかわらず、昼食後から夕食後にかけて血糖値が著しく上昇するというパターンを示すことが知られています 。
これは、朝内服したステロイドの作用が、数時間後の昼頃から夕方にかけてピークに達するためです 。そのため、健康診断などで測定する空腹時血糖値だけを見ていると、高血糖を見逃してしまう可能性があります。
具体的な症状としては、一般的な糖尿病と同様に、以下のようなものが現れることがあります。
- 喉が渇き、水分をたくさん摂る(口渇、多飲)
- 尿の量や回数が増える(多尿)
- 体重が減る
- 疲れやすくなる(倦怠感)
- 感染症にかかりやすくなる
しかし、これらの症状がはっきりと現れないことも少なくありません。そのため、診断においては血糖値のモニタリングが非常に重要になります。過去1〜2ヶ月の平均血糖値を反映するHbA1cは、急激な血糖変動を捉えにくいため、ステロイド糖尿病の診断ではあまり重視されません 。代わりに、指先から少量の血液を採って測定する自己血糖測定(SMBG)や、皮下にセンサーを装着して24時間の血糖変動を連続的に記録する持続血糖測定(CGM)が有用です 。これらの実測値を用いて、食後の高血糖(例:200mg/dL以上が複数回確認されるなど)が確認された場合に、ステロイド糖尿病として治療介入が検討されます 。
ステロイド剤の副作用を管理するための治療法と血糖コントロール
ステロイド糖尿病の治療の原則は、原因となっているステロイド剤を中止することですが、多くの場合は原疾患の治療のためにステロイドを継続する必要があります。そのため、ステロイド治療と並行して血糖値を良好にコントロールすることが目標となります 。
治療法は、高血糖の程度や患者さんの状態によって選択されます。
食事療法・運動療法:
まず基本となるのが食事療法と運動療法です。これらについては次のセクションで詳しく解説します。
薬物療法:
食事療法や運動療法だけでは血糖コントロールが不十分な場合、経口血糖降下薬やインスリン注射による薬物療法が行われます 。ステロイド糖尿病は昼食後から夕食後の食後高血糖が特徴であるため、この時間帯の血糖値をピンポイントで下げる薬が効果的です。
- α-グルコシダーゼ阻害薬(α-GI): 食事の糖分の吸収を遅らせることで、食後の急激な血糖上昇を抑えます 。
- 速効型インスリン分泌促進薬(グリニド薬): 食直前に服用することで、インスリン分泌を促し、食後高血糖を改善します 。
- DPP-4阻害薬: 血糖値に応じてインスリン分泌を促進する作用があり、ステロイド糖尿病にも有効な場合があります 。
かつてはステロイド糖尿病の治療はインスリン注射が基本とされていましたが、最近ではこれらの内服薬を組み合わせることで、インスリンを使わずに良好なコントロールが得られるケースも増えています 。
インスリン療法:
経口薬でもコントロールが難しい場合や、高用量のステロイドを使用している場合には、インスリン療法が必要となります 。ステロイドによる高血糖のパターンに合わせて、インスリンの種類や注射のタイミングを調整する必要があります。個人差が大きいため、血糖値を細かく測定しながら投与量を調整していくことが重要です 。
ステロイド治療中の食事療法と運動における重要な注意点
ステロイド治療中は、副作用としての高血糖や体重増加を管理するために、食事と運動が非常に重要になります 。
食事療法のポイント 🍽️
ステロイドには食欲を増進させる作用もあるため、「食べ過ぎ」に注意が必要です 。以下の点を心がけましょう。
- 規則正しい食生活: 「だらだら食べ」は血糖値を不安定にします。食事時間を決め、間食を控えることが大切です 。
- 適切なカロリー摂取: 体重が増加傾向にある場合は、摂取カロリーを見直す必要があります 。ただし、極端な食事制限はせず、バランスの取れた食事を心がけましょう。
- 塩分を控える: ステロイドは血圧を上昇させやすくする副作用もあるため、塩分控えめの食事が推奨されます 。
- 食物繊維を多く摂る: 野菜やきのこ、海藻などに含まれる食物繊維は、糖の吸収を穏やかにし、血糖値の急上昇を防ぐ助けになります 。
運動療法のポイント 🏃♀️
適度な運動は、インスリンの効きを良くし、血糖コントロールを改善する効果が期待できます。
- 無理のない範囲で継続する: ウォーキングや軽いジョギング、水泳など、楽しめる運動を継続することが大切です。
- 食後に行うのが効果的: 運動は食後30分~1時間後に行うと、食後の血糖値上昇を抑えるのに効果的です。
- 体調に注意する: ステロイドの副作用で感染症にかかりやすくなっている(易感染性)場合もあるため 、無理は禁物です。疲労やストレスを溜めないように注意しましょう 。
以下のPDFでは、ステロイド治療中の食事に関する注意点がイラスト付きで分かりやすく解説されています。
日本造血・免疫細胞療法学会:ステロイド内服中の注意点
【独自視点】ステロイド剤が腸内環境に与える影響と糖尿病への関連性
ここまではステロイド剤の直接的な作用について解説してきましたが、近年、全く異なる角度からステロイドと糖尿病の関連性を探る研究が進んでいます。それが「腸内環境」との関係です。
私たちの腸内には数百兆個もの細菌が生息しており、「腸内細菌叢(腸内フローラ)」を形成しています。この腸内細菌のバランスが、免疫機能や心身の健康、さらには糖尿病の発症にも深く関わっていることが明らかになってきました 。
実は、ステロイド剤のような薬が、この腸内細菌叢のバランスに影響を与える可能性が指摘されています 。また、糖尿病の治療薬自体も腸内細菌に影響を与えることが分かっています 。これは非常に興味深い視点です。なぜなら、ステロイドが直接的に血糖値を上げるだけでなく、「腸内環境の変化」という間接的なルートを通じても、糖代謝に影響を及ぼしている可能性があるからです。
最近の研究では、腸内細菌が作り出す特定の代謝物質が、血糖値の調節に関与していることが次々と発見されています。
- インスリン分泌を促す物質: ある種の腸内細菌が作り出す「4-クレゾール」という物質が、膵臓からのインスリン分泌を促し、糖尿病に対して抑制的に働くことが報告されています 。
- 血糖調節に影響する物質: 腸内細菌由来の「フェニル硫酸(PS)」という物質が、インスリン分泌を促進する一方で、インスリン抵抗性を引き起こすという二面性を持つことが解明されました 。この物質は、糖尿病や腎臓病の進行に関与する可能性があり、将来的に新しい治療のターゲットになるかもしれません 。
これらの研究はまだ発展途上ですが、ステロイド剤の使用によって腸内細菌のバランスが変化し、これらの有益な物質の産生が減ったり、逆に有害な物質が増えたりすることで、血糖コントロールが難しくなっている可能性も考えられます。将来的には、腸内環境を整えるアプローチ(プロバイオティクスなど)が、ステロイドの副作用を軽減し、血糖管理を助ける新たな補助療法となるかもしれません。これは、ステロイド治療を受ける多くの患者さんにとって、大きな希望となる可能性を秘めた研究分野と言えるでしょう。


