

かゆみを薬だけで治そうとすると、9割以上の患者が再発を繰り返すことが研究でわかっています。
「かゆみは薬を塗れば治まる」と思っている方は少なくありません。しかし、看護の世界における「患者教育」という概念を知ると、その認識が大きく変わります。患者教育とは、公益社団法人日本看護科学学会の定義によれば、「最適なレベルの健康を維持増進させるという目標に向かって、患者および家族が自ら疾患あるいは健康の管理・療養・生活調整をするために必要な知識、技術、態度を教育内容として提供する看護実践」とされています。つまり、単に薬の使い方を教えるだけではなく、患者が自分自身の力でかゆみをコントロールできるようになることを目指した、継続的・系統的な支援なのです。
重要なのが「患者指導」と「患者教育」の違いです。患者指導は「指示すること・教えること」であるのに対し、患者教育は「患者のセルフケア能力を引き出すこと」を指します。この違いは小さく見えて、実は非常に大きな差を生みます。
かゆみに悩む患者にとって、一方的に「掻かないでください」と言われるだけの指導では、行動はほとんど変わりません。かゆみを誘発する状況・自分の皮膚の状態・適切な対処法を、患者自身が理解し、日常生活に落とし込めるよう支援することが本当の意味での患者教育なのです。つまり「自分で管理できる」状態が目標です。
アトピー性皮膚炎は国内での推定患者数が約170万人(この10年で約3倍に増加)とも言われ、成人のかゆみ患者は年々増加しています。皮膚の問題を抱える患者が看護師から受ける教育の質が、QOL(生活の質)を大きく左右することが、複数の論文によって示されています。
公益社団法人日本看護科学学会:患者教育の定義(患者教育について詳しく解説されています)
「看護師に指導してもらっているから大丈夫」と思っている患者さん、それは安心しすぎかもしれません。群馬大学の松本らが発表した論文(日本保健医療行動科学会誌 Vol.36、2021年)によると、患者教育の経験がある看護師は9割近くいたものの、患者教育の方法(行動変容理論やセルフモニタリング法など)を正式に学んだことがある看護師は、驚くべきことにゼロ(0%)だったことが明らかになっています。
これは何を意味するのでしょうか。現場では経験則だけに頼った指導が行われており、根拠ある患者教育が十分に届いていない可能性があるということです。研修を受けた後には、知識テストの正解者数の平均が約34%から90%以上へと大幅に向上した(効果量d=1.53)ことも同論文は報告しています。これは教育前後の差が非常に大きいことを示します。
また、同研究では研究論文を「全く読まない」または「あまり読まない」看護師が全体の9割近くに達していたことも報告されています。最新の研究成果が現場に届くまでには大きなタイムラグがあることが示唆されています。これは痛いですね。
このことは、かゆみに悩む患者にとっても他人事ではありません。受ける指導の質にはばらつきがあると知ったうえで、患者側も自ら論文や信頼できる情報を積極的に調べる姿勢が重要です。看護師に「なぜそのケアが必要なのか」を確認する習慣をつけることで、質の高いセルフケアに近づけます。
日本保健医療行動科学会:臨床看護師を対象とした患者教育研修の効果(EASEプログラム研修の詳細なデータが掲載されています)
かゆみの原因として最も多い疾患のひとつがアトピー性皮膚炎(AD)です。その治療の基本は「スキンケア」「薬物療法」「悪化因子の除去」の3本柱とされており(アトピー性皮膚炎診療ガイドライン2021)、このうちスキンケアの指導は看護師が担う中核的役割です。
名古屋市立大学の谷川らによる文献的考察(なごや看護学会誌 Vol.1 No.1、2019年)では、アトピー性皮膚炎へのスキンケア指導を扱った14件の論文を分析した結果、指導効果として以下のようなカテゴリーが抽出されています。
スキンケア指導の中心となる内容は、「37〜38℃のぬるま湯での入浴を1日1回以上行う」「入浴後15分以内に軟膏を塗布する」「保湿剤の塗布量・タイミング・範囲を具体的に指導する」などです。これらは単に知識として伝えるだけでなく、実際に患者自身に「やってみせてもらい、確認しながら修正する」という体験型の指導が効果的であることが同論文で示されています。これは使えそうです。
ガイドラインに書かれていない細かな指導内容(例:洗浄にかける時間は25〜30分、軟膏はどの皮膚状態に対してどれを使い分けるか)も、看護師が個別に教えることで大きな効果を発揮します。「自分の皮膚状態に合った具体的なケア方法を知ること」が、かゆみ管理において最大の武器になります。
なごや看護学会誌:アトピー性皮膚炎患者へのスキンケア指導内容とその効果に関する文献的考察(14件の論文を分析した指導内容と効果の詳細)
「わかっているけど、できない」――これはかゆみを抱える患者が最も陥りやすい状態です。知識があっても行動に移せない理由は、動機付けや生活環境、心理的障壁にあります。これを解消するアプローチとして、近年看護の現場で注目されているのが「EASE(イーズ)プログラム®」です。
EASEプログラムとは「Encourage Autonomous Self-Enrichment Program」の略で、患者の「生活重要事(自分が大切にしていること)」を前景化したうえで、行動変容を支援するプログラムです。認知行動療法をベースに構成されており、患者が「自分の生きがいや大切なことのために行動を変える」という内発的動機を引き出す点が特徴です。
先行研究では、EASEプログラムを活用した患者教育では、従来の一般的な患者教育と比較して、88.6%の行動変容が認められ、無作為化比較試験においても介入群のセルフマネジメント行動が有意に向上することが示されています(日本保健医療行動科学会誌 Vol.34)。行動変容が基本です。
かゆみを抱える患者にとって、このアプローチは非常に実用的です。たとえば「夜にかゆくて眠れないと、翌日子どもとの時間が辛くなる」という生活重要事を明確にすることで、「だからスキンケアを続けよう」という強い動機が生まれます。単に「やらなければいけない」という義務感よりも、行動の継続率が大幅に高まることが論文で示されています。
自分の「なぜケアするのか」を明文化してみることが、長期的なかゆみ管理への第一歩です。かかりつけの看護師や皮膚科看護師に「自分の生活で大切にしていることを踏まえたケア指導」を求めることも、一つの有効な選択です。
日本保健医療行動科学会:EASEプログラムの概要と効果(88.6%の行動変容率を含む詳細なエビデンス)
患者教育の研究は、看護師側の介入効果や教育内容に関するものが大多数です。しかし、実は「患者側から看護師へ何を伝えるか」によって、受けられる教育の質が大きく変わるという側面は、既存の論文ではほとんど取り上げられていません。これは意外ですね。
アトピー性皮膚炎の患者を対象にした教育入院研究(京都大学、2014年)では、教育入院の効果を語る上で、患者自身が「自分のかゆみのパターン」「生活スタイルとの兼ね合い」「なぜこれまで続けられなかったのか」を積極的に医療スタッフに伝えることが、個別的で効果的な指導を引き出す鍵になることが示されています。
具体的に看護師に伝えると効果的な情報を整理すると以下のようになります。
これらの情報を事前にメモして受診時に持参するだけで、看護師の指導が「一般的な説明」から「あなた専用の教育」に変わる可能性があります。論文上では「患者の個別性に合わせた指導ができない」ことが看護師の困難として多数報告されています。その困難を解消するのは、実は患者側の情報提供なのです。
かゆみを「ただ我慢する」から「管理する」へと切り替えるためには、看護師と患者の双方向のコミュニケーションが欠かせません。患者が主体的に情報を提供することで、患者教育の質が格段に高まります。つまり、最良のケアは「伝える勇気」から始まると言えます。
京都大学リポジトリ:アトピー性皮膚炎教育入院患者へのインタビュー研究(患者視点からの教育入院体験の詳細)