

かゆみが出たとき、抗ヒスタミン薬だけ飲めば安心と思っていると、命に関わる危険を見逃すことがあります。
結論からいうと、エピネフリン(Epinephrine)とアドレナリン(Adrenaline)は化学的にまったく同一の物質です。分子構造も、体への作用も、何ひとつ違いはありません。同じ物質が2つの名前で呼ばれているだけというのが正確な答えです。
では、なぜ2つの名前が存在するのでしょうか?これには100年以上にわたる命名の歴史が関係しています。
1897年、アメリカのジョンズ・ホプキンス大学の研究者ジョン・エイベルが副腎の抽出物に「エピネフリン(epinephrine)」という名前をつけました。語源はギリシャ語の「epi(上に)」+「nephros(腎臓)」で、副腎の上にある物質という意味です。ところが後の研究で、エイベルが単離した物質は生理活性のない誘導体であることが判明しました。
一方、1901年に日本人化学者・高峰譲吉とその助手・上中啓三が、ニューヨークで世界で初めてこのホルモンの純粋な結晶化に成功します。高峰はこの物質を「アドレナリン(adrenaline)」と名付けました。語源はラテン語の「ad(~の上に)」+「renes(腎臓)」です。意味は同じでも語源の言語が違うというわけです。
つまり「アドレナリン」が正真正銘の活性物質に最初につけられた名前です。
その後、ヨーロッパでは高峰の業績を尊重して「アドレナリン」を正式名称に採用しました。アメリカでは商標上の都合から「エピネフリン」を一般名として使い続けたため、今も国・地域によって呼び名が分かれています。日本では2006年の日本薬局方改正により、正式名称が「エピネフリン」から「アドレナリン(別名エピネフリン)」に変更されました。高峰譲吉の業績に敬意を表した改正でした。
これが基本です。名前が違うから「別の薬」と思ってしまうのは危険な誤解なので、しっかり覚えておきましょう。
| 呼び名 | 主な使用地域 | 語源 | 備考 |
|---|---|---|---|
| アドレナリン(Adrenaline) | 日本・欧州・英国・オーストラリア | ラテン語 ad(上に)+ renes(腎臓) | 日本薬局方の正式名称(2006年〜) |
| エピネフリン(Epinephrine) | アメリカ・カナダ | ギリシャ語 epi(上に)+ nephros(腎臓) | 米国薬局方の正式名称。エピペンの名もここから |
| ボスミン(Bosmin®) | 日本 | — | アドレナリン注射液の商品名 |
参考:日本薬局方改正とアドレナリン名称の経緯について詳しい愛知県衛生研究所の解説ページ
第十五改正日本薬局方が出ました(愛知県)|高峰譲吉発見・命名の「アドレナリン」が日本名として採用された背景
「かゆみを抑える薬」といえば、ほとんどの方が抗ヒスタミン薬(アレグラ、クラリチンなど)を思い浮かべるでしょう。しかしアドレナリンもかゆみを抑える強力な働きを持っています。しかも、そのメカニズムは抗ヒスタミン薬とはまったく異なります。
まず、かゆみの原因から整理しましょう。
皮膚に存在する肥満細胞(マスト細胞)は、アレルゲン(花粉・食物・虫毒など)が体内に侵入すると、ヒスタミンという物質を大量に放出します。このヒスタミンが皮膚の神経末端や血管に作用することで、赤み・腫れ・かゆみが生じます。蕁麻疹や食物アレルギーの皮膚症状がまさにこれです。
アドレナリンは交感神経のα受容体・β受容体の両方に働きかけます。特にβ2受容体への作用が重要で、肥満細胞からのヒスタミン放出そのものを抑制する働きがあります。つまり、抗ヒスタミン薬が「放出されたヒスタミンの作用をブロックする」薬であるのに対し、アドレナリンは「そもそもヒスタミンの放出を止める」という上流での対処ができるのです。これは使えそうです。
さらにアドレナリンには、次のような複合的な作用があります。
この多面的な作用こそが、重篤なアレルギー反応(アナフィラキシー)の治療でアドレナリンが「第一選択薬」である理由です。日本アレルギー学会のガイドラインでも、アドレナリンがアナフィラキシー治療の最優先薬として位置づけられています。
一方、日常的な軽いかゆみ(花粉症・アトピー性皮膚炎など)では、抗ヒスタミン薬で十分対応できます。アドレナリンは副作用(心拍数増加・血圧上昇など)もあるため、通常の皮膚のかゆみに使うものではありません。アドレナリンは重症時限定の薬と覚えておけばOKです。
参考:アドレナリン(エピネフリン)のβ2作用と肥満細胞への作用について
なぜエピネフリンがアナフィラキシーの第一選択か(日経メディカル)|β2作用で肥満細胞の脱顆粒を抑制する仕組みの解説
アドレナリン(エピネフリン)は「カテコラミン」と呼ばれる物質群の一種です。カテコラミンには、アドレナリンのほかに、ノルアドレナリン(ノルエピネフリン)・ドーパミン・ドブタミンなどが含まれます。どれも交感神経系に働きかける物質ですが、受容体への作用の「強さのバランス」がそれぞれ異なり、使用目的もまったく別物です。
まず、ノルアドレナリン(ノルエピネフリン)との違いを見てみましょう。
アドレナリンはα受容体・β受容体の両方に強く作用します。これに対してノルアドレナリンは、主にα受容体(血管収縮)への作用が強く、β2受容体(気管支拡張・肥満細胞抑制)への作用は弱い物質です。この違いは医療現場では非常に重要で、アドレナリンとノルアドレナリンの取り違えはインシデント(医療事故)につながるため、特に注意が必要とされています。
| 物質名 | α受容体 | β1受容体 | β2受容体 | 主な用途 |
|---|---|---|---|---|
| アドレナリン(エピネフリン) | ⭐⭐⭐ 強 | アナフィラキシー・心停止 | ||
| ノルアドレナリン(ノルエピネフリン) | ⭐⭐⭐ 強 | ⭐⭐ 中 | ⭐ 弱 | 敗血症性ショック・血圧維持 |
| ドーパミン | ⭐ 弱〜中 | ⭐⭐ 中 | ⭐ 弱 | 心不全・低心拍出量 |
ドーパミンはアドレナリンやノルアドレナリンの前駆体でもあります。体内では、ドーパミン→ノルアドレナリン→アドレナリンという順に合成されています。アドレナリンは「合成の最終産物」でもあるわけです。意外ですね。
また、ドーパミンは脳内では「やる気・快楽・集中力」に関わる神経伝達物質としても有名です。しかしノルアドレナリンやアドレナリンとしての役割が、体全体の緊急応答に関わるのとは、働く場所と役割が大きく異なります。
日常会話で「アドレナリンが出る!」という表現はよく聞きますが、これはストレス・興奮・危険に直面したときに副腎からアドレナリンが分泌され、心拍数が上がり筋肉に血液が集まる状態を指しています。この反応は「闘争・逃走反応(Fight or Flight Response)」と呼ばれ、人間の生存本能と深く結びついています。
参考:カテコラミン製剤の違いと使い分け(医療従事者向け)
昇圧薬カテコラミン製剤の種類と使い分け(緑の風病院薬剤科)|アドレナリン・ノルアドレナリン・ドパミンの受容体作用の違いを詳しく解説
「かゆみくらいで大げさ」と思ってしまいがちです。しかし日本では年間約60人がアナフィラキシーショックで亡くなっており(主な原因は医薬品・ハチ刺傷)、その多くで対応の遅れが関係しているとされています。
アナフィラキシーとは、アレルゲン(食物・虫・薬など)が体内に入ったことで、複数の臓器に一気に過剰なアレルギー反応が起こる、生命に危険を与え得る状態です。典型的な初期症状がまさに「かゆみ・蕁麻疹・皮膚の赤み」です。つまり、かゆみはアナフィラキシーの入口になることがあります。
ここで重要なのが「アドレナリン自己注射薬・エピペン®」の存在です。エピペンとは、アナフィラキシーが疑われるときに自己注射するアドレナリン製剤で、医師の治療を受けるまでの間に症状の進行を一時的に抑えるための補助治療剤です。エピペンの名称はエピネフリン(Epinephrine)から来ています。アメリカ名称由来の商品名なのです。
アナフィラキシーには「二相性反応」という特性があります。一度症状が落ち着いた後、1〜48時間(多くは最初の6〜12時間)以内に再びアナフィラキシーが発症するケースがあるというものです。成人の最大23%に起こり得ると報告されています。
「症状が落ち着いた=安心」は間違いです。
日本アレルギー学会のガイドラインは明確に「アナフィラキシーに対するアドレナリンの不使用は死亡リスクを高める」と記載しています。かゆみや蕁麻疹だけが出た場合でも、アレルゲンが明確で症状が急激に悪化する兆候があれば、アドレナリン(エピペン)の使用と救急搬送が優先されます。「かゆみ止め(抗ヒスタミン薬)だけ飲んで様子を見る」という対処は、アナフィラキシーの可能性がある場合には適切ではありません。抗ヒスタミン薬はかゆみ・皮膚症状には有効ですが、血圧低下や気道狭窄には効果がないからです。
また、食物アレルギーを持つ人が受診する際には、主治医にエピペン処方の必要性を相談することが、最大のリスク管理になります。
参考:日本アレルギー学会 アナフィラキシーガイドライン
アナフィラキシーガイドライン2022(日本アレルギー学会)|アドレナリン第一選択の根拠・二相性反応・エピペン使用基準が詳しく記載
一般の方があまり知らない話として、医療の現場でも「エピネフリン」「アドレナリン」「ボスミン」「エピペン」という複数の名称が今も混在して使われています。これは単なる呼び方の問題にとどまらず、実際の医療安全に関わる問題です。
まず整理すると、次の4つはすべて同じ物質(アドレナリン)を指しています。
名称の混在が特に問題になるのは、「エピネフリン(epinephrine)」と「エフェドリン(ephedrine)」が見た目・発音ともに非常に似ているという点です。最初の3文字が同じ「epi」「eph」で始まるため、電子カルテの薬剤検索や処方の際に取り違えるリスクが海外では報告されています。エフェドリンは気管支拡張薬・昇圧薬として使われる別物の薬剤です。
実際、Oxford大学の研究者Aronsonが2000年にBMJ(英国医学雑誌)に発表した論文では、この「エピネフリン vs. エフェドリン」の混同リスクを理由のひとつに挙げ、「アドレナリン」という呼び名に統一すべきだと主張しています。これは厳しいところですね。
日本では2006年の薬局方改正でアドレナリンに統一されつつありますが、古い医療書や海外情報を参照するときには今もエピネフリンという名前が出てきます。かゆみやアレルギーに悩む方が海外のWebサイトや論文を調べるときも、「epinephrine = アドレナリン」と知っていれば情報を正しく読み取れます。この知識は必須です。
また、看護師や医療従事者向けの研修でも、「アドレナリンとノルアドレナリンの投与間違い」は重大インシデントの上位に入っています。名前が似ているが作用が大きく異なるため、確認を怠ると深刻な事態になります。これはかゆみの治療を受ける患者の立場からも、処方された薬の一般名と商品名を一度確認しておく価値がある理由です。
参考:アドレナリン製剤の種類と使い分けに関する医療従事者向け解説
アドレナリン製剤の種類と使い分け(ナース専科)|ボスミン・エピペンの位置づけやノルアドレナリンとの違いをわかりやすく解説