

くるみを0.5g以下しか食べていないのに、アナフィラキシーで救急搬送されることがあります。
経口免疫療法(Oral Immunotherapy:OIT)とは、「自然経過では早期に耐性獲得が期待できない症例に対して、事前の食物経口負荷試験で症状誘発閾値を確認した後に原因食物を医師の指導のもとで経口摂取させ、閾値上昇または脱感作状態とした上で、究極的には耐性獲得を目指す治療法」です(食物アレルギー診療ガイドライン2016)。
つまり、体がアレルゲンと認識しているものを毎日少量ずつ食べさせることで、体を慣らしていく治療です。
くるみアレルギーは近年急増しており、2023年には消費者庁が「くるみ」を特定原材料(義務表示品目)に追加しました。それ以前は"推奨"扱いだったことを知らない方も多いのではないでしょうか。義務化の背景には、くるみが食物アレルギーの原因食品として第2位にまで増加したという事実があります(第74回日本アレルギー学会報告)。くるみの輸入量は過去20年で2倍以上に増加しており、食べる機会が増えたことで感作リスクも高まったと考えられています。
かゆみの原因は何でしょうか?食べた後15分〜2時間以内に、皮膚にかゆみ・蕁麻疹・赤みが出るのが典型的なパターンです。重篤な場合は呼吸困難・血圧低下をともなうアナフィラキシーにまで進展します。くるみはアナフィラキシーを引き起こしやすいアレルゲンとして知られており、特に注意が必要です。
経口免疫療法の目標は「完全に治す」ことではなく、誤食時のアナフィラキシー発症を防げるレベルまで耐性を高めることが主な目的です。これを「脱感作(だっかんさ)」と呼びます。完治に近い「免疫寛容」を目指す場合もありますが、くるみの場合はまず誤食への備えが最優先です。
参考:食物アレルギー研究会による経口免疫療法の定義と注意点
https://www.foodallergy.jp/care-guide/oral-immunotherapy/
治療の基本的な流れは「負荷試験→少量から開始→週2〜3回継続摂取→増量」という段階を踏みます。
まず医療機関で食物経口負荷試験(OFC)を行い、「症状なく食べられる量(閾値)」を確認します。くるみの場合、最初の開始量は0.5g以下の極少量から始めます。0.5gとは、くるみ1粒(約5g)の10分の1に相当する量です。はがきの横幅が約14cmとすると、くるみ0.5gは粉末にすれば耳かき1杯程度のイメージです。
開始量が確認できたら、自宅で週2〜3回その量を継続して食べ続けます。一定期間、症状なく食べられるようになったら、外来受診のうえで量を1段階増やしていきます。最終目標量は施設によって異なりますが、目安として3g程度(くるみ約半粒)を継続摂取できる状態を目指すケースが多いです(第74回日本アレルギー学会報告)。
これが基本の流れです。
愛知県のあいち小児保健医療総合センターなど専門施設では、「パクパ」と呼ばれるフリーズドライ食品を使った微量摂取治療が行われています。パクパはくるみ・カシューナッツ・ピーナッツなどのナッツ類を含む製品で、病院での経口負荷試験後に家庭での継続摂取に使用されることがあります。
治療を始めると決めたら、摂取後の生活管理も重要です。食べた後1時間は運動や入浴を控えるよう指導されています(藤田医科大学ひやりはっと事例集)。運動や入浴で体温が上がると、アレルギー症状が誘発されやすくなるためです。これは見落とされやすいポイントです。
また、発熱・胃腸炎・疲労・生理中・鎮痛剤の内服なども症状を誘発しやすい条件として知られています。体調不良の日は摂取量を1段階下げるか、主治医の指示に従って休むことが安全の基本です。
参考:東京都保健安全研究センター「複数のナッツ除去からクルミの治療開始に至った例」
経口免疫療法がかゆみ・アレルギー症状を抑えるメカニズムは、免疫学的に複数の経路から説明されています。
体がアレルゲン(くるみタンパク質)に触れると、体内のIgE抗体がそれを「敵」と認識し、肥満細胞(マスト細胞)を活性化してヒスタミンなどの化学物質を放出します。このヒスタミンがかゆみ・蕁麻疹の主な原因です。
少量のアレルゲンを繰り返し摂取し続けると、IgE抗体の量が徐々に減少し、代わりに「IgG4抗体」と呼ばれる"ブロッキング抗体"が増加します。IgG4は、アレルゲンと先に結合することでIgEによる誘発を防ぐ働きがあります。また、制御性T細胞(Treg)が誘導されることで、過剰な免疫反応そのものが抑えられます。
つまり、「かゆみを起こす司令塔を減らしながら、防御側の免疫を育てる」のが経口免疫療法の本質です。
2020年に発表された順天堂大学の研究では、経口免疫療法により食物アレルギー症状が誘発されなくなるメカニズムにおいて重要な細胞・分子が明らかになりました。具体的には、特定のサイトカインや制御性T細胞の誘導が確認されています。
一方、注意すべき点もあります。治療を中断すると閾値が元に戻ることがあります。つまり、「一定期間食べ続けること」を止めると、せっかく高まった耐性が失われるリスクがあるのです。これはくるみに限らず、食物アレルギーの経口免疫療法全般で確認されている問題点のひとつです(食物アレルギー診療ガイドライン2016)。
また、2025年の報告(CareNet)では、2020年以降のくるみアレルギーは発症に必要な量(ED05値)が以前の14.94mgから3.26mgへと大幅に低下していることが分かっています。これは以前より少ない量でアレルギーが発症しやすくなっていることを意味します。厳しいところですね。
参考:順天堂大学「経口免疫療法により食物アレルギー症状の発生が抑えられるメカニズム」
https://www.juntendo.ac.jp/news/00268.html
経口免疫療法は「食べればかゆみが治る」という単純なものではありません。治療上のリスクをしっかり理解してから始めることが大切です。
食物アレルギー研究会のガイドラインによれば、経口免疫療法の主な問題点は以下の4つです。
「治療中に症状が出ることは必発」という点は、多くの方が見落としがちです。症状が出ないまま順調に進むことはほぼなく、口腔内の違和感・かゆみ・蕁麻疹・咳など軽度から重度のさまざまな症状が起きます。従来の増量方法では、7割の患者が副反応を経験し、15%はアナフィラキシーだったとの報告もあります(朝日新聞2024年3月記事)。
近年は、閾値の1/100量から開始し1/10量で維持する「超少量・緩徐増量法」が安全性の点で評価されています(CareNet 2023年12月)。副反応リスクが従来法より低くなると報告されており、最近の専門施設ではこのアプローチが採用されやすい傾向にあります。
安全に進めるために必要なのは、まず「エピペン(アドレナリン自己注射器)」の携帯です。治療中はアナフィラキシーのリスクが常に存在するため、主治医と相談のうえで処方してもらい、正しい使い方を事前に練習しておきましょう。また、学校・職場・家族への周知も不可欠です。
エピペンは携帯が必須です。
加えて、好酸球性食道炎・腸炎など、即時型アレルギー症状以外の副反応も報告されています。治療中に原因不明のお腹の痛みや飲み込みにくさが続く場合は、すぐに主治医に相談しましょう。
参考:食物アレルギー研究会「経口免疫療法の実施時の注意点」
https://www.foodallergy.jp/care-guide/oral-immunotherapy/
経口免疫療法がすべてのくるみアレルギー患者に推奨されるわけではありません。向いている人とそうでない人を知ることが、治療選択の第一歩です。
食物アレルギー診療ガイドライン2016によると、経口免疫療法の適応基準は「食物経口負荷試験で診断された即時型食物アレルギーであり、かつ自然経過では早期に耐性獲得が期待できない」患者です。逆に言えば、症状が比較的軽く自然寛解の可能性がある場合は、治療しなくても食べられるようになることもあります。
小児の食物アレルギーでは、6歳までに7〜8割が自然に耐性を獲得して食べられるようになります。学童期まで続いても、12歳までに半数は耐性を獲得するとのデータもあります(第74回日本アレルギー学会報告)。ただし、くるみは卵・牛乳と異なり自然寛解しにくいとされている点で要注意です。
経口免疫療法に向いている人の特徴としては、誤食によるアナフィラキシーリスクが高い人、日常生活で誤食の可能性が排除できない人(学童・外食が多い人など)、本人・保護者が長期の治療に主体的に取り組む意欲がある人があげられます。
一方、向いていない可能性が高いケースとしては、喘息が十分にコントロールされていない人(喘息合併は副反応リスクが高まる)、アトピー性皮膚炎や好酸球性疾患の既往がある人、治療への強い不安・拒否感がある子どもなどです。
意外ですね。アレルギーがある全員が治療対象ではないのです。
治療の開始は子ども自身が納得しているかどうかも重要です。東京都の実例報告では、子ども本人が「今やめたくない」と治療に前向きになったことで継続できたケースが紹介されています。子どもの気持ちを尊重しながら、長い治療を進める姿勢が大切です。
なお、治療は「食物アレルギー診療を熟知した専門医」が在籍し、「倫理委員会の承認のもとで緊急救急体制が整った医療機関」でのみ実施できます(食物アレルギー診療ガイドライン2016)。一般のかかりつけ医では難しく、専門施設への紹介が必要になります。お住まいの地域の小児アレルギー専門医を探す際は、日本小児アレルギー学会の施設検索が参考になります。
参考:愛知県あいち小児保健医療総合センター「くるみ・カシューナッツ・ピーナッツの微量摂取治療」
https://www.achmc.pref.aichi.jp/department/allergyka/
経口免疫療法は長期にわたる治療です。治療を進めながら、日常のかゆみリスクを最小限に抑える生活上の工夫も欠かせません。
まず最重要なのが食品表示の確認です。2025年4月1日から「くるみ」の食物アレルギー表示が全面義務化されました(消費者庁)。これにより、加工食品に含まれるくるみはすべて表示が義務となっています。ただし、外食やテイクアウトは義務の対象外である点に注意しましょう。
外食時はスタッフにくるみアレルギーを明示的に伝え、調理器具の共用汚染(コンタミネーション)にも注意する必要があります。ドレッシング・ソース・デザートはくるみが使われやすいカテゴリです。細かいところですが、外食前に一声かけるだけで誤食リスクを大幅に下げられます。
自宅での注意点として、化粧品・ボディオイル・ペットフードにもくるみ由来成分が含まれることがあります。特に小さなお子さんは誤食や皮膚接触によるかゆみが出る可能性があるため、手の届かない場所への保管が必要です。
治療中に症状が出てしまったとき、軽度のかゆみや蕁麻疹には抗ヒスタミン薬の内服が有効です。ただし、呼吸症状・血圧低下・意識障害が伴う場合はアナフィラキシーと判断し、エピペンを使用して直ちに救急車を呼びましょう。これが基本の対処です。
アレルギー管理カードを携帯することも有効な手段です。意識を失った際や一人でいるときに症状が出ても、周囲の人が適切な対応をとれるようになります。主治医に作成を依頼するか、日本アレルギー学会などが配布しているカードの形式を活用しましょう。
経口免疫療法中は、「食べること」に対する恐怖感が出てくることも珍しくありません。継続には家族の理解とサポートが大きな力になります。治療開始前に家族でリスクと目標を共有しておくと、突発的な症状が出た際にも冷静に対応できます。
参考:国立成育医療研究センター「食物アレルギー」
https://www.ncchd.go.jp/hospital/sickness/children/allergy/food_allergy.html