

かゆみを気にしているあなた、実はそのかゆみを悪化させているのは、食事中の「ある反射」と同じ物質かもしれません。
サブスタンスP(Substance P、略称SP)とは、11個のアミノ酸から構成されるニューロペプチド(神経ペプチド)の一種です。1931年にVon EulerとGaddum によって発見されたこの物質は、もともと「P物質」と呼ばれ、その「P」はPowder(粉末)を意味していました。現在では痛みの伝達や炎症反応、そして嚥下・咳反射の制御に至るまで、幅広い生理作用が明らかにされています。
主に脊髄後角や末梢神経の感覚神経末端に存在し、痛みや刺激の信号を脳へ伝える役割を担います。それだけでなく、のどや気管の迷走神経・舌咽神経の知覚枝末端にも豊富に蓄えられており、食べ物を飲み込む際の「嚥下反射」を正常に機能させる上で欠かせない物質でもあります。つまりサブスタンスPは、痛みとかゆみ、そして嚥下という一見バラバラに見える生理現象をつなぐ共通の鍵物質なのです。
これは意外ですね。
正常な嚥下の流れを整理すると、食べ物が咽頭に触れる → 咽頭の受容体が刺激される → サブスタンスPが放出される → 延髄の嚥下中枢が活性化される → 嚥下筋群が協調して動く、という順番になります。この反射の連鎖がスムーズに起きることで、食べ物は気管に入らず食道へ送られます。サブスタンスPが十分あることが前提です。
| 物質 | 主な役割 | 低下・過剰時の影響 |
|---|---|---|
| サブスタンスP | 嚥下・咳反射の制御、痛み・かゆみ伝達 | 低下:嚥下・咳反射の鈍化、不顕性誤嚥 / 過剰:かゆみ・炎症の悪化 |
| ドーパミン | サブスタンスP合成の促進 | 低下:サブスタンスPの産生減少 → 嚥下反射低下 |
| ヒスタミン | かゆみ・炎症の媒介 | サブスタンスPによる肥満細胞刺激で放出が増加 |
サブスタンスPが低下すると何が起きるのでしょうか。最も深刻なのが「不顕性誤嚥(ふけんせいごえん)」です。通常の誤嚥であれば咳き込んでむせるため、周囲の人や本人も気づくことができます。しかし不顕性誤嚥は、むせも咳も出ないまま口腔内の細菌を含む唾液や食べ物が気管へ流れ込んでしまう状態です。
驚くことに、高齢者肺炎の70〜80%は不顕性誤嚥によって生じると報告されています(日本老年医学会誌)。就寝中など本人が全く気づかないうちに細菌が気道に侵入し、免疫力が低下したタイミングで誤嚥性肺炎を発症するのです。これは深刻です。
サブスタンスPが低下する主な原因として、以下が挙げられます。
ドーパミンとサブスタンスPの関係を少し詳しく見ると、ドーパミンはサブスタンスPを合成するための前駆体として機能します。大脳基底核の神経細胞で産生されたドーパミンが、迷走神経・舌咽神経の知覚枝末端でサブスタンスPを合成します。そのためドーパミンが減ると、連動してサブスタンスPも減少し、嚥下反射と咳反射の両方が低下するという流れになります。
口腔ケアの刺激がサブスタンスP濃度を上昇させ、嚥下反射を改善するという研究報告もあります。特に5分間の歯ブラシによる口腔内刺激が唾液中のサブスタンスP濃度を有意に高めたとされており、口腔ケアが誤嚥性肺炎発症リスクを約40%低下させるとも言われています。ケアを続けることが大切です。
参考:嚥下反射とサブスタンスPの関係、不顕性誤嚥の機序について
日本訪問歯科協会「サブスタンスPとは|今日から始める口腔ケア」
かゆみとサブスタンスPの関係を理解するには、まず「末梢性かゆみ」の仕組みを知る必要があります。皮膚に刺激が加わると、表皮から真皮の接合部に存在するかゆみ受容体(C線維の末端)が活性化されます。C線維が刺激されると、その末端からサブスタンスPが遊離します。これが肥満細胞に作用してヒスタミンをさらに大量に放出させ、かゆみを増強させます。つまりサブスタンスPは「かゆみの増幅装置」です。
住友ファーマの資料によると、C線維から遊離したサブスタンスPは皮膚の毛細血管にも作用し、血管拡張と透過性亢進(血管壁のすき間が大きくなる状態)をもたらします。その結果、リンパ球・好酸球・好塩基球などの炎症細胞が皮膚に集まり、さらにサイトカインが産生されるという炎症の悪循環が起きます。アトピー性皮膚炎や慢性蕁麻疹でかゆみが止まらない理由の一つはここにあります。
ストレスとの関係も無視できません。精神的・身体的ストレスがかかると、交感神経が興奮して皮膚に分布する神経末端からサブスタンスPが分泌されます。このサブスタンスPが肥満細胞を直接刺激してヒスタミンを放出させ、蕁麻疹や皮膚のかゆみにつながるのです。「ストレスで肌が荒れる」という感覚は、まさにこのサブスタンスP経由の反応です。
かゆみが長引くときは、この「サブスタンスP→ヒスタミン→かゆみ→サブスタンスP」という悪循環に入っている可能性があります。抗ヒスタミン薬だけでは効きにくい難治性のかゆみ(慢性肝疾患・腎疾患に伴うかゆみなど)は、このヒスタミン以外のサブスタンスPを介したメカニズムが大きく関与していると考えられています。
参考:末梢性・中枢性かゆみのメカニズムとサブスタンスPの役割
住友ファーマ 医療関係者向け「かゆみのメカニズム」
かゆみを気にしている人に意外と知られていないのが、唐辛子の辛み成分「カプサイシン」が嚥下機能の改善に役立つという事実です。カプサイシンはTRPV1受容体(熱や痛みを感じる受容体)を活性化し、その刺激でサブスタンスPの分泌を促進します。分泌されたサブスタンスPが嚥下中枢を活性化することで、衰えた嚥下反射が改善されます。これは使えそうです。
2005年に科学誌「Lancet」にも掲載された研究では、カプサイシン含有トローチを用いた高齢者への単回摂取試験で、嚥下反射の有意な改善が確認されました。普段の食事でピリ辛のものを積極的に取り入れることが、嚥下機能の維持につながる可能性があります(ただし胃腸が弱い方は量に注意が必要です)。
一方で、かゆみの文脈ではカプサイシンは「逆の使われ方」をすることがあります。カプサイシンを繰り返し外用すると、サブスタンスPの「depletion(枯渇)」が起こり、感覚神経末端のサブスタンスPが減少します。つまり皮膚への繰り返しのカプサイシン外用は、サブスタンスPを介したかゆみ信号を抑えるために活用されているのです。「食べて嚥下を改善」「塗ってかゆみを抑制」という二つの顔があります。
次にACE阻害薬(アンジオテンシン変換酵素阻害薬)について見てみます。ACEという酵素はサブスタンスPを分解する働きを持っています。高血圧の治療薬として処方されるACE阻害薬(代表薬:タナトリル、レニベースなど)はこのACEの働きを阻害するため、サブスタンスPが体内に蓄積されやすくなります。その結果、咽頭・気道のサブスタンスP濃度が高まり、嚥下反射と咳反射が改善します。
実際、脳血管障害を持つ高齢患者にACE阻害薬を投与すると不顕性誤嚥が消失し、肺炎の発症率が低下したという報告があります。一方でACE阻害薬の副作用として「空咳」が出やすいのも、サブスタンスPが増加して気道の感受性が高まるためです。副作用の咳が実は治療効果の裏返しでもある、という関係は興味深いところです。
参考:ACE阻害薬のサブスタンスP増加作用と誤嚥性肺炎予防のエビデンス
みどり病院「ACE阻害薬が誤嚥性肺炎の予防に効く!?~副作用も時には薬に~」
ここからは、かゆみに悩む人にとって特に重要な独自視点をお伝えします。サブスタンスPは「多すぎるとかゆみが悪化」し、「少なすぎると嚥下が危険」という、相反する性質を同時に持っています。これを踏まえると、かゆみを抑えようとしてサブスタンスPをむやみに減らすことは、嚥下機能の低下につながるリスクがあります。特に高齢になってからは要注意です。
では何が重要かというと、「サブスタンスPを過剰に増やさない生活習慣の維持」、すなわちストレスのコントロールが、かゆみと嚥下の両方に効く「二刀流の対策」になります。ストレスが蓄積するとサブスタンスPが皮膚で過剰に放出されてかゆみが悪化しますが、同時に自律神経の乱れは嚥下反射にも影響を与えます。つまりストレスが基本です。
具体的な生活習慣の改善ポイントをまとめると、以下のようになります。
かゆみ対策として皮膚科を受診する際、「最近むせることが増えた」「夜中に咳が出る」などの症状も医師に伝えておくと、サブスタンスPを介した複合的な問題として見立ててもらえる可能性があります。体のサインを見落とさないことが条件です。
かゆみと嚥下という一見無関係に見える二つの問題が、サブスタンスPという一つの物質でつながっている。この視点を持つだけで、自分の体で起きていることへの理解が大きく変わります。抗ヒスタミン薬を飲んでもかゆみが引かない場合や、食事中のむせが増えてきた場合は、サブスタンスPの視点から生活習慣を見直してみることが、解決の糸口になるかもしれません。
参考:サブスタンスPと誤嚥性肺炎予防、口腔ケアによる改善効果について
長寿科学振興財団「病態時間軸で考える高齢者誤嚥性肺炎・摂食嚥下障害予防戦略」