神経成長因子が痛みとかゆみを慢性化させる驚きの仕組み

神経成長因子が痛みとかゆみを慢性化させる驚きの仕組み

神経成長因子が引き起こす痛みとかゆみの深いつながり

かゆみを引っ掻けば引っ掻くほど、神経が物理的に「成長」してかゆみが強くなります。


この記事のポイント3つ
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NGFとは何か?

神経成長因子(NGF)は本来、神経を育てる良い物質。しかし炎症が起きると過剰に分泌され、皮膚の神経線維を角層直下まで「伸ばして」かゆみを慢性化させる。

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引っ掻くと悪化する理由

繰り返し引っ掻くと感覚神経でNPTX2というタンパク質が増加し、脊髄のかゆみ伝達神経を活性化。かゆみが慢性化するメカニズムが九州大学の研究で世界初解明(2022年)。

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今日からできる対策

保湿は「乾燥した直後」に行うと表皮内への神経線維の増生を最も効果的に抑制できる。タイミングが早いほど、NGFの過剰分泌を防ぐ効果が高い。


神経成長因子(NGF)とは何か?痛みとかゆみへの基本的な役割

神経成長因子(Nerve Growth Factor、以下NGF)は、1950年代にイタリア出身の神経科学者リタ・レーヴィ=モンタルチーニ博士が発見したタンパク質で、その功績により1986年にノーベル生理学・医学賞が贈られています。発見から約70年が経過した今も、NGFは痛みやかゆみの研究において最前線に立つ重要な物質です。


NGFはもともと「神経を育てる・守る」という有益な役割を担っています。分子量は約2万6,000のタンパク質で、知覚神経ニューロンや交感神経ニューロンの分化・成熟を促し、細胞が損傷を受けたときの修復作用を持ちます。いわば神経の「栄養剤」です。


問題が起きるのは、皮膚に炎症が生じたときです。炎症があると、皮膚のケラチノサイト(表皮細胞)や肥満細胞がNGFを過剰に分泌し始めます。過剰なNGFは、本来なら真皮と表皮の境界部にとどまっているはずの知覚神経線維を、角層直下にまで伸ばしてしまいます。つまり「神経の根が、皮膚の表面付近まで生えてくる」状態になるのです。


これが何を意味するか。正常な皮膚では表面の刺激は真皮の神経終末まで届きにくい構造になっています。ところが表皮内に神経が侵入すると、ちょっとした摩擦や温度変化でも神経が即座に反応してかゆみや痛みを発します。かゆみの閾値(感じ始める刺激の強さ)が大幅に下がるということです。これが慢性的なかゆみの根本メカニズムのひとつです。


NGFが痛みに関与することは変形性関節症や腰痛の研究でも確認されており、痛い部位では局所のNGF濃度が上昇しています。NGFは痛覚を伝えるC線維の「感度を上げる」働きをするため、炎症部位はわずかな刺激でも強い痛みを感じやすくなります。つまりNGFは、かゆみと痛みの両方において「過敏化」を引き起こす重要な分子です。


東京医科大学整形外科学分野「NGF(神経成長因子)」:NGFの発見の歴史と疼痛への関与について詳述


神経成長因子がかゆみを慢性化させる「イッチ・スクラッチ・サイクル」の正体

「かゆいから掻く→掻くから悪化する→さらにかゆくなる」という悪循環は、多くの方が経験したことがあるはずです。この現象は「イッチ・スクラッチ・サイクル(かゆみと掻破の悪循環)」と呼ばれており、NGFがその核心に深く関わっています。


まず、皮膚バリアが乾燥や炎症で傷つくと、ケラチノサイトからNGFの分泌が増加します。NGFは知覚神経線維の「神経伸長因子」として働き、神経を角層直下まで伸ばします。ちょうど植物の根が土の表面にまで這い出てくるようなイメージです。神経が表面近くに来るほど、些細な刺激でかゆみが誘発されます。


次に、かゆくなった部位を掻いた後に何が起きるかです。2022年5月に九州大学・岡山大学・ジョンズ・ホプキンス大学の共同研究チームが、国際科学誌「Nature Communications」で驚くべき発見を発表しました。アトピー性皮膚炎接触皮膚炎のモデルマウスで繰り返し皮膚を引っ掻くと、皮膚と脊髄をつなぐ感覚神経でNPTX2(neuronal pentraxin 2)というタンパク質が増加することを世界で初めて確認したのです。


このNPTX2が脊髄へ運ばれ、かゆみ伝達神経の活動を高めてしまいます。つまり「引っ掻く→神経にNPTX2が増える→脊髄でのかゆみ信号が増幅される→さらにかゆくなる」という神経レベルの悪循環が生まれるわけです。引っ掻くたびに慢性化が進む、ということですね。


さらに、掻破によって皮膚バリアがさらに壊れ、そこからNGFの分泌が追加で増えるという「二重の悪化ループ」も同時に進行します。NGFが増えれば神経がさらに伸び、かゆみの閾値はさらに下がる。これが難治性かゆみの正体です。


アトピー性皮膚炎の推定患者数は2017年厚生労働省データで約51万人(日本国内)ですが、その多くがこのサイクルに苦しんでいます。悪循環は「掻かない」だけでは解決しません。NGFの過剰分泌と神経線維の伸長そのものに働きかける必要があります。


日本医療研究開発機構(AMED)「長引くかゆみ、何回も引っ掻くと神経で増えるタンパク質が原因!」:NPTX2とかゆみ慢性化の関係を解説した公式発表


神経成長因子と「NGF vs セマフォリン3A」——かゆみの閾値を決める2つの物質

健康な皮膚でNGFによる神経伸長が起きないのはなぜか。それはNGFと正反対の働きをする「神経反発因子」のセマフォリン3A(Sema3A)が、バランスよく分泌されているからです。このNGFとSema3Aの綱引きこそ、かゆみの感受性を左右する重要なメカニズムです。


正常な表皮では、ケラチノサイトがNGFとSema3Aを適度なバランスで分泌し、神経線維を真皮・表皮の境界部付近に保持します。Sema3Aは神経線維が表皮内に侵入しようとするのを「はじき返す」役割を担います。


ところがアトピー性皮膚炎や乾燥肌(ドライスキン)の状態になると、このバランスが崩れます。NGFの産生が増加し、Sema3Aの産生が減少するのです。順天堂かゆみ研究センターの研究では、アトピー性皮膚炎の患者皮膚ではNGF発現の増加とSema3A発現の減少が同時に確認されており、この変化が表皮内への神経線維の侵入・増生を引き起こしていることが明らかになっています。


NGFとSema3Aのバランスが崩れる原因のひとつは、皮膚バリアの破壊です。乾燥によってバリアが弱まると表皮のカルシウムイオン濃度勾配が失われ、Sema3Aを作るための細胞内シグナルが機能しなくなります。一方、炎症性サイトカインがNGFの産生を促します。これが両方向から悪化する構造になっています。


では治療はどうなるか。順天堂かゆみ研究センターの研究グループは、PUVA療法(ソラレン紫外線A波療法)がNGFとSema3Aの発現を正常化し、表皮内神経線維の増生を抑制することを確認しています。また、保湿剤・ステロイド軟膏・紫外線療法を比較した実験では、「保湿剤<ステロイド軟膏<紫外線療法」の順に神経線維増生の抑制効果が確認されました。


これはとても重要な知見です。乾燥直後に保湿剤を塗ると、24時間後に塗るよりも表皮内神経線維の増生抑制効果が高いことも実験で示されています。早めの保湿は、NGF過剰分泌の予防に直接つながるということです。


抗ヒスタミン薬が効かない理由——NGFが関与するかゆみメディエーターは約40種類

かゆみに悩む方が最初に手を伸ばすのは、市販の抗ヒスタミン薬でしょう。しかし、特にアトピー性皮膚炎や慢性的なかゆみに対しては抗ヒスタミン薬が効かないことが珍しくありません。これには、NGFが絡む深い理由があります。


かゆみを引き起こす物質(かゆみメディエーター)は、長らくヒスタミンだけと考えられてきました。そのため「かゆみ薬=抗ヒスタミン薬」という構図が長く続きました。しかし、近年の研究でかゆみメディエーターは現在までに約40種類が同定されています。ヒスタミン以外にも、IL-31・IL-4などのサイトカイン、サブスタンスP・NGFなどの神経ペプチド、セロトニン・プロスタグランジンなどの脂質メディエーターが次々と発見されました。つまり、抗ヒスタミン薬が遮断できるのはそのうちの一種類だけということです。


NGFはこれらのうちでも特別な位置を占めます。直接かゆみを起こすだけでなく、知覚神経の密度を増やして「かゆみが起きやすい皮膚」そのものを作ってしまうからです。NGF自体はかゆみメディエーターではなく、かゆみを増感させる「増幅装置」として機能します。増幅装置が働いている状態では、どのかゆみメディエーターに対しても反応が過剰になるため、ヒスタミンだけブロックしても焼け石に水となるわけです。


アトピー性皮膚炎の重症度はNGFやサブスタンスPの血中濃度と相関することも報告されており(日本皮膚科学会アトピー性皮膚炎診療ガイドライン2018)、NGFはかゆみの「重さのバロメーター」でもあります。病態が重いほどNGFが高く、かゆみが強い——この構造を理解すると、なぜ軽いかゆみには抗ヒスタミン薬が効いても、慢性化した強いかゆみには効かないのかが納得できます。


近年はNGFが引き起こすかゆみの「増感」を標的にした新しい治療アプローチが注目されています。たとえばIL-31受容体を阻害するネモリズマブ(商品名:ミチーガ)はNGFとは別経路から神経線維の過活動を抑え、従来薬では改善できなかった重症アトピーのかゆみを有意に減少させることが臨床試験で確認されています。NGFの知識を持った上で皮膚科を受診し、自分のかゆみがどのタイプかを相談することが、早期改善の近道になります。


日本皮膚科学会「アトピー性皮膚炎診療ガイドライン2018」:NGFやサブスタンスPと病勢の関係について記載(PDF)


【独自視点】慢性疼痛との共通点——かゆみと痛みの神経成長因子を「同時に」抑える可能性

一般的に「かゆみ」と「痛み」は別々の問題として捉えられています。しかし最新の研究では、この2つがNGFという共通の分子によって連動して引き起こされることがわかってきました。かゆみを抱える人にとって、痛みの研究が「自分ごと」である理由がここにあります。


NGFの抗体薬「タネズマブ(tanezumab)」は、変形性関節症や慢性腰痛に伴う強い痛みを対象として開発が進められた薬剤です。PfizerとEli Lillyが共同開発を進め、複数のフェーズⅢ試験で変形性関節症患者の疼痛を有意に軽減する効果が確認されています。なぜこれがかゆみと関係するのか。NGFが痛みと同じ経路(TrkA受容体)を通じて知覚神経を過敏化させるからです。つまり、「NGFを中和する」という方向性は、痛みにもかゆみにも共通して有効な可能性があります。


動物モデルでは、抗NGF抗体がアトピー性皮膚炎のかゆみ行動を抑制することも報告されています(千葉大学・2007年)。NGFを直接阻害するアプローチが実現すれば、かゆみと痛みを同時に抑える全く新しい治療の扉が開くかもしれません。


もう一つ注目すべき点は、「痛みはかゆみを抑える」というメカニズムです。脊髄後角でGABAやグリシンなどの神経伝達物質が放出されると、かゆみの神経回路が抑制されます。かゆいところを掻くと一時的に楽になるのは、掻くことで生じる軽い痛みがこの機序を働かせるためです。これは「痛みとかゆみが神経レベルで干渉し合う」という証拠であり、両者が完全に独立したシステムではないことを示しています。


この視点から見ると、慢性疼痛を抱える患者がかゆみも同時に訴えるケース、あるいは慢性かゆみの患者がしばしば痛みの過敏性を持つケースが臨床上みられることにも、NGFを介した共通の神経過敏化という説明がつきます。かゆみのケアと痛みのケアは、NGFという共通の「元栓」から攻めることで両方改善できる可能性がある——この観点が今後の治療を変える鍵になるかもしれません。


Nature Asia「神経成長因子阻害薬は変形性関節症の疼痛を緩和する」:タネズマブの有効性と抗NGF治療の展望を紹介


生化学「慢性的なかゆみの新しい神経系メカニズム」:慢性かゆみにおける神経回路の最新研究(J-Stage)