

かゆみを抑えるために市販の抗ヒスタミン薬を使い続けていると、効果がどんどん落ちて症状が悪化することがあります。
日本のアトピー性皮膚炎患者数は成人だけで約100万人以上と推定されており、小児では有症率が10〜15%に上るとも言われています。この疾患において「かゆみ」は単なる不快感ではなく、睡眠障害・集中力低下・うつ症状などを引き起こす深刻な健康問題です。かゆみが続く状態がQOL(生活の質)を根本から損なうことは、多くの研究で実証されています。
その「かゆみ」を引き起こす鍵となる分子として、近年ますます注目されているのが「STAT3(Signal Transducer and Activator of Transcription 3)」というタンパク質です。2023年11月、理化学研究所(理研)の研究チームが科学誌『Cell Reports』に発表した研究は、このSTAT3の役割を根本から明らかにしました。
従来、かゆみの主要な原因物質として知られていたサイトカイン「IL-31」は、皮膚の角化細胞(ケラチノサイト)に作用してかゆみを引き起こすと考えられていました。ところが理研の研究によると、IL-31は実際には感覚神経に直接作用してかゆみを誘導しており、角化細胞への作用はかゆみ誘導にほとんど寄与していないことが初めて実証されたのです。意外ですね。
さらに重要な発見がありました。感覚神経においてSTAT3を欠損させたマウスにIL-31を投与すると、引っかき行動が「全く」観察されなかったのです。これは、感覚神経のSTAT3がIL-31によるかゆみ誘導に「必須」であることを意味します。これが基本です。
STAT3は炎症に関わる多くの細胞(免疫細胞・上皮細胞など)において働くことが知られていましたが、感覚神経細胞におけるかゆみへの役割は、この研究以前にはほとんど明らかにされていませんでした。この発見が「STAT3阻害薬を新しいかゆみ治療薬として開発する必要性」を強く示唆したため、stat3 inhibitor clinical trial(STAT3阻害薬の臨床試験)に世界的な関心が集まっています。
【参考:理化学研究所 プレスリリース】アトピー性皮膚炎のかゆみ伝達機序を解明(AMED)|STAT3阻害薬開発の重要性を示唆した基礎研究の詳細が読めます
「JAK阻害薬」という言葉を聞いたことがある方も多いでしょう。実はJAK阻害薬とSTAT3阻害薬は非常に近い関係にあります。JAK(ヤヌスキナーゼ)はSTAT3の「上流」にある分子で、サイトカインが受容体に結合するとまずJAKが活性化され、その後にSTAT3が活性化される、という順番になっています。
現在アトピー性皮膚炎に承認されているJAK阻害薬には、経口薬ではバリシチニブ(オルミエント)・アブロシチニブ(サイバインコ)・ウパダシチニブ(リンヴォック)、外用薬ではデルゴシチニブ(コレクチム)があります。これらは臨床試験でかゆみの大幅な改善を示しています。例えばウパダシチニブ30mgの臨床試験では、16週時点でEASI-75(湿疹面積・重症度スコアが75%以上改善)達成率が約79.7%と報告されています。
ではなぜ、JAK阻害薬があるにもかかわらずSTAT3選択的阻害薬(stat3 inhibitor)への注目が高まっているのでしょうか?
それは副作用リスクの問題です。JAKはSTAT3だけでなく、複数のSTATファミリーやそれ以外の多くのシグナル伝達経路に影響します。そのため、JAK阻害薬には帯状疱疹・重篤な感染症・血栓症・心血管系リスクといった副作用が報告されており、海外では患者の約25%が臨床試験の対象外になるほど、使用条件が厳しい場面もあります。
一方、STAT3を選択的に阻害する薬剤はJAKの「下流」のみを標的とするため、理論的には免疫への影響が限定的になり、副作用が低減できる可能性があります。つまり「効果はJAK阻害薬に近いが、副作用リスクが下がる」という選択肢が生まれうるのです。これは使えそうです。
現在もっとも注目を集めているSTAT3選択的阻害薬の一つが、Recludix Pharmaが開発中の「REX-7117」です。2024年の皮膚科学会(SID)年次総会で発表されたデータによると、REX-7117はin vivoの尋常性乾癬モデルにおいて、IL-17を標的とする生物学的製剤と同等の有効性を示し、かつインターフェロン依存性の抗ウイルス遺伝子転写には影響を与えなかったことが報告されています。
| 比較項目 | JAK阻害薬 | STAT3選択的阻害薬 |
|---|---|---|
| 作用ターゲット | JAK(STAT3の上流) | STAT3(JAKの下流) |
| かゆみへの効果 | ✅ 臨床で実証済み | 🔬 前臨床・初期試験段階 |
| 投与方法 | 経口・外用 | 経口(開発中) |
| 副作用リスク | 感染症・血栓等の懸念あり | 理論上は低減の可能性 |
| 日本での承認状況 | 複数承認済み | 未承認(研究段階) |
「stat3 inhibitor clinical trial」として現在進められている臨床研究は、大きく分けて「STAT3を直接標的とする新薬の試験」と「STAT3を介して作用するJAK阻害薬を用いた皮膚疾患試験」の2つの流れがあります。
まず、STAT3を直接ターゲットにした新薬開発について触れましょう。前述のREX-7117(Recludix Pharma)は、2024年時点で前臨床(動物実験)段階にあり、犬とマウスのモデルでCRPなどの炎症バイオマーカーの有意な低下と、関節炎・乾癬に類似した皮膚炎症モデルでの改善が確認されています。臨床試験(ヒトへの投与)への移行が期待されている段階です。
次に、STAT3を介したシグナルを阻害することで効果を発揮するJAK阻害薬関連の臨床試験についてです。難治性の皮膚かゆみ疾患「結節性痒疹(Prurigo Nodularis:PN)」への適用試験が特に活発に行われています。2025年に報告されたトファシチニブ(tofacitinib)を用いた16週間の前向き観察パイロット試験では、難治性PNの患者においてかゆみスコア(WI-NRS)が16週で4ポイント以上改善した割合が有意に高かったことが報告されました。
結節性痒疹は、体中に硬いかゆい結節が多数できる難治性の疾患で、NRSスコア10(最大値)からスコア1(ほぼなし)まで低下した症例も報告されています。NRS10というのは「想像できる最大のかゆみ」と考えてください。通常の外用ステロイドなどではほとんど効かない段階です。それが1近くまで下がる、というのは患者にとって劇的な変化です。
また、Kymera Therapeuticsのタンパク質分解薬「KT-333」(STAT3分解薬)はフェーズ1の臨床試験でポジティブな結果を示しており、今後の皮膚炎症への応用が注目されています。これは従来の「阻害薬」とは異なり、STAT3タンパク質そのものを細胞内で分解する「ターゲットタンパク質分解(TPD)」という新技術を使った薬剤です。
【参考:QLifePro】アトピー性皮膚炎に伴う「かゆみ」伝達に感覚神経のSTAT3が関与|STAT3阻害薬の開発意義について詳しく解説されています
「STAT3阻害薬が効く」という情報を聞いて、すぐに何か試したいと思う方もいるかもしれません。しかし、現時点では日本国内でSTAT3を直接・選択的に阻害する新薬は未承認です。これが条件です。
現在、STAT3経由でかゆみを抑えるとして臨床で使われているのは、あくまでJAK阻害薬です。そしてJAK阻害薬の使用にも注意点があります。海外の複数の臨床試験を統合した解析によると、アトピー性皮膚炎の臨床試験において対象患者の約25%が試験の「適用除外基準」に該当し、実際の試験集団に入れなかったという報告があります。理由は心臓・血管疾患リスクや免疫状態の問題です。
さらに、JAK阻害薬は帯状疱疹(特に免疫が弱っている状態での)や重篤な感染症のリスクがあります。日本皮膚科学会が公表しているJAK阻害薬の適正使用指針(2022年版)でも、投与前の結核スクリーニング・帯状疱疹ワクチン接種・定期的な血液検査などが必須とされています。
「手軽に試せる薬」では決してありません。厳しいところですね。
一方、かゆみが強く既存治療で効果が出にくい方にとって、新しいSTAT3標的治療は大きな希望となりえます。重要なのは「今どの段階にあるか」を正しく知ることです。
もし現在の治療でかゆみのコントロールに困難を感じている場合、まずは皮膚科専門医に相談することが最初の一歩です。臨床試験への参加が可能かどうかも含めて、最新の情報を持つ専門医の判断を仰ぐことが大切です。
ここでは、医療情報として見落とされがちだが非常に実践的な観点をお伝えします。それは「かゆみの記録をつける習慣」が、STAT3標的治療を含む新しい治療の恩恵を最大限に受けるための条件になっている、という事実です。
臨床試験(clinical trial)では、有効性の評価に「NRS(Numeric Rating Scale)」や「WI-NRS(Worst Itch NRS)」と呼ばれるかゆみスコアが必ず使われます。これは患者自身が「0〜10の数値」で最も強いかゆみを評価するものです。このスコアが4点以上改善することが、臨床的に「有効」とみなされる基準のひとつになっています。
ところが、日常生活でかゆみを数値で記録している患者さんはごく少数です。多くの場合「昨日は強かったけど今日は少し楽になった」という主観的な感覚だけで病院を受診しています。これだと、担当医師が治療の有効性を判断するのが難しくなります。
つまり日頃からNRS(0=かゆみなし・10=想像できる最大のかゆみ)で毎朝・毎晩のかゆみを記録しておくことで、受診時に「治療の効き目の客観的なデータ」を提示できるようになります。これはJAK阻害薬の治療効果判断にも、将来の臨床試験への参加基準確認にも役立ちます。
かゆみの記録に便利なアプリとして、「アトピコノート」(Maruko AI製)のようなアトピー専用の症状管理アプリや、一般的な体調記録アプリを活用する方法があります。記録する際は「就寝前の最悪値」「起床直後の値」を毎日一言メモするだけでも、数週間後には見えていなかったパターンが浮かび上がってきます。これは使えそうです。
また、紫外線照射(ナローバンドUVB)や保湿ケアとSTAT3経由の治療を組み合わせる可能性についても研究が進んでいます。皮膚のバリア機能が低下している状態では、IL-31の産生が促進されてSTAT3の過活性化につながります。そのため、日常的な保湿ケアはSTAT3シグナルを抑制する「補助的な土台作り」として理にかなっています。
かゆみの記録を続けることが大切です。それだけで、いつ新しい治療法が使えるようになったときにも、スムーズに対応できる体制が整います。
【参考:日本皮膚科学会】アトピー性皮膚炎診療ガイドライン2024|かゆみの評価方法・治療ステップアップの基準など実践的な情報が掲載されています