

石鹸で丁寧に洗うほどかゆみが悪化することがあります。
「常在菌叢(じょうざいきんそう)」とは、人体の特定の部位に集団で定着し、日常的に共存している微生物(細菌・真菌など)の集合体のことです。英語では「indigenous microbial flora」や「マイクロバイオーム」とも呼ばれ、腸・口腔・皮膚の3か所が代表的な部位として挙げられます。
皮膚だけで見ても、約1兆個以上の菌が生息しているとされています。これは人間の体細胞数(約60兆個)と比べると少なく感じるかもしれませんが、皮膚のわずか1cm²あたりに1,000〜10万個もの菌が密集しているほどの規模です。東京ドーム(約4.7万m²)の床面を菌で覆いつくすよりもずっと密度が高いイメージです。
つまり、皮膚は無菌の「きれいな表面」ではありません。
膨大な数の常在菌は、大きく3種類に分類されます。
- 🟢 善玉菌(美肌菌):表皮ブドウ球菌が代表。肌のうるおいを守り、悪玉菌の増殖を抑えます。
- 🔴 悪玉菌:黄色ブドウ球菌が代表。アトピー性皮膚炎のかゆみや炎症を悪化させる原因菌として知られています。
- 🟡 日和見菌(ひよりみきん):アクネ菌が代表。普段は肌を弱酸性に保つ働きをしますが、環境変化で悪化することも。
このバランスが保たれている状態こそが「健康な常在菌叢」です。かゆみを抑えたい方にとって重要なのは、このバランスを「壊さないこと」と「整えること」の両方です。
参考リンク(MSDマニュアル:常在菌叢の定義と人体への影響について)。
MSDマニュアル家庭版「常在菌叢」
かゆみと常在菌叢の関係は、「なんとなく肌が荒れているから痒い」という話ではありません。仕組みはもっと具体的で驚くべきものです。
ハーバード大学が発表した研究(Cell 誌掲載)によると、皮膚に存在する黄色ブドウ球菌は、V8プロテアーゼという酵素を分泌して、感覚神経上のPAR1受容体(トロンビン受容体)を直接刺激することが確認されました。つまり黄色ブドウ球菌は、免疫細胞(マスト細胞)を介さずに、皮膚の神経を「直接かゆい!」と興奮させているのです。これは意外ですね。
従来はかゆみ=ヒスタミンやサイトカインの放出→神経への刺激、という流れが常識でした。しかしこの研究は、そのルートを全く通らない「菌→神経直撃」の経路があることを示しました。
この事実がかゆみを抑えたい方にとって重要な理由があります。抗ヒスタミン剤を飲んでも痒みが止まらないケースのなかに、黄色ブドウ球菌が直接関与しているケースが含まれる可能性があるからです。つまり、薬で対処する前に「常在菌叢のバランスを整える」ことが根本的なアプローチになりえます。
アトピー性皮膚炎の患者さんの肌を調べると、黄色ブドウ球菌が健常肌と比べて異常に多く増殖していることが一貫して報告されています。一方、善玉菌である表皮ブドウ球菌は、黄色ブドウ球菌の増殖を抑える抗菌ペプチドを分泌する性質があります。善玉菌が多い状態を保つことが、かゆみの予防に直結するということです。
参考リンク(黄色ブドウ球菌が神経に直接かゆみを起こすハーバード大の研究解説)。
AASJ 論文ウォッチ「常在黄色ブドウ球菌は直接神経に働いてかゆみを引き起こす」
かゆみが気になると、「清潔にしなければ」という気持ちから、1日に何度も石鹸で洗ってしまう方は少なくありません。しかしこれが、かゆみをさらに悪化させる典型的なパターンです。
善玉菌「表皮ブドウ球菌」は、皮膚の角質層の表面近くに住んでいます。石鹸での洗顔・洗浄を行うと、この菌は水とともに洗い流されてしまいます。持田ヘルスケアの情報によると、洗い流された表皮ブドウ球菌の数が元に戻るまでには約半日(12時間程度)かかるとされています。
1日に2回以上石鹸で洗う習慣があると、善玉菌が回復する前に次の洗浄で再び流されてしまうわけです。善玉菌が少ない状態が続けば続くほど、悪玉菌の黄色ブドウ球菌が増えやすい環境になります。これが条件です。
また、抗菌・殺菌成分が入った石鹸(薬用石鹸)には別のリスクもあります。悪玉菌だけを狙い撃ちすることは難しく、善玉菌も含めた菌全体を死滅させてしまうからです。常在菌叢の「多様性」が損なわれると、肌が外部刺激に弱くなり、かゆみや炎症が起きやすくなることが研究で示されています。
では、かゆみのある肌をどう洗えばよいのでしょうか?
専門家が推奨するのは「1日1回・ぬるめのお湯で・こすらず洗う」という方法です。強い洗浄力より、皮膚の菌叢を保護することを優先する考え方です。洗顔・入浴後は、保湿を忘れずに素早く行うことで、表皮ブドウ球菌が働きやすい弱酸性の肌環境を維持できます。
参考リンク(持田ヘルスケア:顔の常在菌と石鹸洗顔回数の関係について)。
持田ヘルスケア「顔の常在菌を大切にしよう」
「敏感肌だからかゆみを感じやすい」という認識は多くの方が持っていますが、その「なぜ?」がここ数年で科学的に解き明かされてきています。
資生堂が2020年に発表した研究では、20〜40代の日本人女性を「敏感肌」と「非敏感肌」に分けて皮膚常在菌叢を比較解析しました。その結果、敏感肌では菌叢の多様性(シャノン多様度指数)が有意に低いことが判明しました。また、表皮ブドウ球菌の割合が高いほど肌の水分量が高く、赤みが少ないという明確な相関関係も確認されています。
多様性が低いということは、菌の種類と数のバランスが偏っていることを意味します。様々な菌が共存しているほど、外部からの悪玉菌の侵入や環境変化に対してしなやかに対応できます。これがなくなると肌のバリア機能が崩れます。
さらに資生堂は、善玉菌の増殖を助ける「プレバイオティクス成分」(サッカロミセス抽出エキスを含む成分)を開発し、連用テストを実施しました。その結果、全員の肌で水分量が改善し、特に「菌叢の多様性が低かった肌」でキメの明確な改善が確認されました。
これは使えそうです。
市販品でも「マイクロバイオーム対応」「肌フローラケア」「プレバイオティクス配合」といった製品が増えています。スキンケアを選ぶときは、菌を「殺菌する」発想ではなく「育てる・整える」発想に切り替えることが、かゆみの根本改善につながります。
参考リンク(資生堂:敏感肌と皮膚常在菌叢の多様性・プレバイオティクス成分の効果)。
資生堂公式「敏感肌では皮膚常在菌叢の多様性が低いことを発見」
かゆみを「皮膚だけの問題」と思っていると、解決の糸口を見落とすかもしれません。近年注目されているのが、腸内細菌叢と皮膚のかゆみが直接つながっているという「腸皮膚相関(gut-skin axis)」の考え方です。
腸皮膚相関の概念自体は1930年代に提唱されていましたが、近年の遺伝子解析技術の進歩で急速に研究が深まっています。腸内細菌叢の乱れが、アトピー性皮膚炎・ニキビ(ざ瘡)・乾癬など、炎症を伴う皮膚疾患の発症や悪化に関わることが複数の研究で示されています。
仕組みの一つとして「サブスタンスP」という神経ペプチドが挙げられます。このサブスタンスPは腸と皮膚の両方に存在し、皮膚に注射するとかゆみと血管拡張を引き起こすことが確認されています。アトピー性皮膚炎の肌では、サブスタンスPを分泌する神経が皮膚表面近くまで伸びており、ちょっとした刺激でもかゆみが増幅されます。
さらに、腸内細菌の乱れによって腸の「壁」が弱くなると(リーキーガット)、本来は通過できないはずの細菌や毒素が血液に流れ込み、全身性の炎症を引き起こします。これが皮膚でかゆみや炎症として現れるひとつの経路です。
では腸内常在菌叢を整えるにはどうすればよいのでしょうか?
発酵食品(ヨーグルト・納豆・キムチなど)を毎日の食事に取り入れる腸活が、プロバイオティクスの補充として有効です。また、プロバイオティクスの摂取によってアトピー性皮膚炎の症状が改善したという報告も複数あります。「皮膚のかゆみを食事で整える」という発想は、腸皮膚相関の観点から理にかなっています。
参考リンク(国立クリニック東:腸皮膚相関の仕組みと研究の最新動向)。
国立市・くにたちクリニック「腸皮膚相関(gut-skin axis)」
常在菌叢は薬でも化粧品でもなく「日常の習慣」によって大きく変わります。この視点はまだ広く知られていないため、多くの方が気づかずに菌バランスを乱す行動を繰り返しています。
まず皮膚の常在菌叢を守るための習慣として押さえておきたいことが3点あります。
| 行動 | 理由 |
|---|---|
| 石鹸洗顔は1日1回まで | 表皮ブドウ球菌の回復に12時間必要なため |
| 洗浄後は素早く保湿 | 弱酸性環境を保ち、善玉菌が働きやすい肌に整えるため |
| 抗菌石鹸の常用を避ける | 善玉菌も含め菌の多様性を一括で下げてしまうため |
次に、あまり知られていない習慣として「適度に汗をかく」ことが挙げられます。汗は表皮ブドウ球菌の栄養源になります。また、汗の中に含まれる抗菌ペプチド(デルマシジン)は表皮ブドウ球菌の活動を助け、病原菌を退治する効果があることが研究で分かっています。激しい運動は不要で、軽いストレッチや入浴でじんわり汗をかく程度で十分です。
さらに睡眠の質も常在菌叢に影響します。睡眠不足は免疫機能の低下につながり、日和見菌が悪玉菌側に傾くきっかけになります。7時間以上の睡眠を目安に生活リズムを整えることも、かゆみ対策の一環として有効です。
最後に食事についてです。常在菌叢は腸と皮膚の両方で連動しています。食物繊維を豊富に含む野菜や豆類は、腸内の善玉菌のエサ(プレバイオティクス)になります。白砂糖や精製炭水化物を摂りすぎると悪玉菌が増えやすくなるため、低GI食品への切り替えもかゆみ改善に役立ちます。
かゆみを止める正解は「菌を殺すこと」ではなく、「善玉菌が優勢な生態系を育てること」です。これが原則です。
参考リンク(アムウェイ:常在菌の種類・皮膚トラブルとの関係・生活習慣について詳しい解説)。
アムウェイ「常在菌は悪い菌?皮膚トラブルの原因や肌の健康を保つ方法」