

水で流すだけの創洗浄を続けると、傷が80%の確率で治らなくなります。
傷口や皮膚表面がなかなかよくならない、あるいはかゆみがずっと続いている——そんな悩みの裏に、「バイオフィルム」の存在が隠れているケースが増えています。
バイオフィルムとは、細菌が自ら分泌する多糖類やタンパク質などの高分子物質で形成する、強固な膜状の構造体のことです。身近なもので例えると、歯に付着する歯垢(プラーク)がまさにバイオフィルムです。川底の石がぬるぬるしているのも、台所のシンクのぬめりも、すべてこのバイオフィルムによるものです。
つまり、バイオフィルムです。
皮膚科学の領域では、バイオフィルムがアトピー性皮膚炎やにきびなどの皮膚疾患の炎症悪化因子となる可能性があることが明らかになっています。ロレアル リサーチ&イノベーション ジャパンと日光ケミカルズの共同研究(2025年発表)によれば、皮膚常在菌(アクネ菌・黄色ブドウ球菌など)が形成するバイオフィルムは、薬剤の浸透を防ぐ「バリア」を作るため、塗り薬や抗生剤の効果を大幅に下げることがわかっています。
かゆみが止まらないのは、バイオフィルムが原因かもしれません。
特に創傷(傷口)の場合、発生から1か月以上経過した褥瘡の6〜9割がバイオフィルムを伴うクリティカルコロナイゼーション(臨界的定着)の状態に至ると報告されています。さらに、国際創傷感染協会(IWII)の2022年コンセンサス文書では、急性創傷ではわずか6%にバイオフィルムが含まれるのに対し、慢性創傷では実に80%近くにバイオフィルムが含まれるという有病率調査の結果が示されています。これは非常に高い割合です。
意外ですね。
バイオフィルムが形成されると、免疫細胞も抗菌剤も届きにくくなるため、細菌は安全なバリアの中で増殖し続けます。その結果として持続的な炎症が起き、創傷治癒を妨げ、周囲皮膚に湿疹やかゆみが波及することがあるのです。かゆみで悩んでいる方にとって、このバイオフィルムの除去こそが根本的な改善へのカギとなります。
参考:皮膚常在菌バイオフィルム洗浄機構に関する共同研究成果(ロレアル R&I ジャパン × 日光ケミカルズ、2025年)
ロレアル:皮膚常在菌バイオフィルム洗浄機構の共同研究成果(2025年)
創傷のケアをしている方の多くが、「たっぷりのお湯か生理食塩水で洗い流せば大丈夫」と考えているのではないでしょうか。しかし、この考えは半分しか正しくありません。
生理食塩水や微温湯を用いた流水による洗浄では、創面に付着したバイオフィルムや、創面をコーティングするように付着しているタンパク質成分の異物を除去することができないことが、複数の専門文書で指摘されています。これは日本褥瘡学会や国際的なガイドラインでも明記されている重要な事実です。
流水だけでは不十分が基本です。
なぜ流すだけでは落ちないのでしょうか?それはバイオフィルムの構造に秘密があります。バイオフィルム中の細菌は、自ら産生した「菌体外多糖体(EPS)」というネバネバした物質に包まれています。この物質が組織表面にしっかりと付着しているため、水で流すだけでは剥がれないのです。歯垢(プラーク)を想像してみてください。うがいだけで歯垢が完全に取れないのと同じ原理です。
ロレアル R&I ジャパンの研究では、界面活性剤の種類によってバイオフィルムの除去効率が大きく変わることが示されました。イオン性合成界面活性剤(SDS)やバイオサーファクタント(ラムノリピド)を用いた場合、流速20ml/sではほぼ完全にバイオフィルムが剥離しましたが、非イオン性の界面活性剤(Tween 20)は流速に関わらずほとんどバイオフィルムの脱着が起こらなかったという結果が得られています。
これは使えそうです。
また、浸漬のみ(流す力がない状態)では、どのような洗浄液でもバイオフィルムの脱着が起こらなかったことも報告されています。つまり、「界面活性剤を含む洗浄剤」と「流す力(せん断力)」の両方が必要だということです。
2020年に国際的な創傷管理専門誌『International Wound Journal』に掲載されたコンセンサスドキュメント「Wound hygiene(創傷衛生)」でも、創の中も界面活性剤を含んだ創傷洗浄剤で強く洗うことが推奨されています。単なる流水洗浄という従来の常識は、現在の医学的知見では明確に「不十分」とされているのです。
参考:Wound hygieneの概念と創洗浄方法の詳細(ディアケア)
ディアケア:Wound hygiene(ウンドハイジーン)─新しい創傷管理
では、バイオフィルムを実際に除去するにはどうすればよいのでしょうか。現在推奨されている「Wound hygiene(ウンドハイジーン)」の考え方に基づいて、4つのステップを解説します。
ステップ①:洗浄(Cleanse)
まず、創底を十分に洗浄します。ポイントは3つあります。①界面活性剤を含む洗浄剤を使う、②創周囲10〜20cmの皮膚まで範囲を広げて洗う、③物理的な力(こする・流す)を加える、という点です。
創周囲10cmというのは、ちょうどはがきの横幅くらいの範囲です。この広さを意識して洗浄することで、皮膚から創部への菌の侵入を防げます。また、少なくとも20秒以上(感染が疑われる場合や深い創は1分以上)かけて愛護的に泡洗浄することが推奨されています。
洗浄剤の選び方も重要です。高齢者など皮膚が弱い方の場合は、弱酸性のプッシュ式泡洗浄剤が推奨されます。弱酸性洗浄剤は皮膚のpHに近いためダメージが少なく、ブドウ球菌などの増殖も抑えられるという二重の効果があります。弱アルカリ性(普通の石鹸)は洗浄力は高いですが、皮膚への刺激も強い。
洗浄剤選びが条件です。
ステップ②:デブリードマン(Debride)
付着しているすべての壊死組織、異物、バイオフィルムを物理的に除去します。口腔ケア用のスポンジや専用ブラシを用いて、創のぬめりや白苔(はくたい)をこすり取ることが有効です。
バイオフィルムは歯垢と同じで、こすらないと剥がれません。
ステップ③:創縁の新鮮化(Refashion)
創の縁(エッジ)にも細菌やバイオフィルムが定着しています。丸まった組織、乾燥した組織、肥厚した組織を除去して、健康な組織を露出させることで傷の治癒を促します。
ステップ④:創傷の被覆(Dress)
デブリードマン後、バイオフィルムは24時間以内に再形成を始めることがわかっています。そのため、デブリードマン直後に抗バイオフィルム作用を持つ被覆材(アクアセル® Ag アドバンテージ、プロントザンなど)を使用することが重要です。
つまり、被覆材の選択が最終防衛線です。
この4ステップを適切な頻度(少なくとも毎日)で繰り返すことで、バイオフィルムの再形成を抑制し続けることができます。連日の洗浄で皮膚が荒れる場合は、洗浄後にヒルドイドソフト®やワセリンで保湿するなどの対策を併用しましょう。
参考:褥瘡処置と洗浄方法の具体的解説(皮膚科専門医サイト)
皮膚科専門医:実は間違いだらけの創部洗浄法(褥瘡の処置方法②)
「一度きれいに洗ったから大丈夫」と安心している方がいるとすれば、それは危険な誤解かもしれません。バイオフィルムは、デブリードマンを実施しても24時間以内に再形成が始まることが医学的に確認されています。
これは厳しいところですね。
なぜそこまで速く再形成されるのでしょうか?バイオフィルムの形成プロセスを順番に見ると、まず細菌が2〜4時間以内に組織表面に固着し、6〜12時間以内にはバリアとなる菌体外多糖体の産生が始まり、耐性が増強していきます。そして72時間後には成熟したバイオフィルムが完成し、除去が非常に困難な状態になります。つまり、72時間(約3日)放置すると、またゼロから出直しに近い状態になるわけです。
この速さがかゆみ長期化の原因になっています。バイオフィルム内で増殖した菌が免疫細胞と戦い続けることで慢性的な炎症状態が維持され、周囲の皮膚にかゆみや湿疹として症状が出続けます。「傷の周りがかゆい」「なかなかよくならない湿疹がある」という状態は、バイオフィルムの定期的な除去が不十分なサインである可能性があります。
かゆみが3日以上続くなら見直しが必要です。
この観点から、現在の創傷ケアでは「デブリードマンを1回行えばOK」ではなく、定期的・継続的なバイオフィルム管理が不可欠とされています。国際的なコンセンサス文書(IWII 2022)でも、「バイオフィルムが物理的に破壊された後に、有効な外用抗菌薬や抗バイオフィルム剤を適用することで、残留バイオフィルムに対処し、その再形成を抑制することができる」と明記されています。
独自の視点で言えば、かゆみで悩む一般の方にとって見落としやすいのが「スキンケア製品の成分選び」との関連です。ロレアルの2025年研究では、リン脂質をベースにした洗浄成分がバイオフィルムの除去促進に有効である可能性が示されました。日常のスキンケアにおいても、リン脂質系の洗顔・ボディケア製品を選ぶことで、皮膚上のバイオフィルムを継続的に除去しやすくなるかもしれません。
参考:バイオフィルムの再形成とWound Hygieneの実践(科研製薬 医療関係者向け情報)
科研製薬:Essentials─創傷治療 総論(バイオフィルムの再形成に関する記述を含む)
創洗浄やデブリードマンでバイオフィルムを除去した後、次に重要なのが「何で覆うか」という被覆材(ドレッシング材)の選択です。この選択を誤ると、せっかくのデブリードマンの効果が24時間以内に無駄になってしまう可能性があります。
被覆材の選択が治癒を左右します。
現在推奨されているのは、単なる「傷を覆う」機能だけでなく、残存するバイオフィルムへの対処と再定着防止の機能を持つ製品です。具体的には以下のような製品が医療現場で使用されています。
| 製品名 | 特徴 | 主な用途 |
|---|---|---|
| アクアセル® Ag アドバンテージ(コンバテック ジャパン) | 銀イオンによる抗菌作用+界面活性剤含有 | 感染リスクの高い慢性創傷 |
| プロントザン(ビー・ブラウンエースクラップ) | ベタイン・ポリヘキサニド含有の洗浄・被覆剤 | バイオフィルム管理全般 |
| ハイドロサイト® ジェントル銀(スミス・アンド・ネフュー) | 銀配合の吸収性フォームドレッシング | 滲出液管理と抗菌 |
| Sorbact® コンプレス(センチュリーメディカル) | 疎水的吸着作用で菌を物理的に除去 | 感染・バイオフィルム管理 |
また、外用剤(塗り薬)については、抗生剤含有軟膏(ゲンタシン®など)は耐性菌を生じやすいため推奨されておらず、耐性菌が生じにくいヨード系外用剤(ユーパスタ®など)やゲーベンクリームが選択されることが多いです。
抗生剤軟膏の長期使用は要注意です。
かゆみに悩む一般の方が市販品でケアする場合は、創傷被覆材として「抗菌・抗バイオフィルム成分(銀・ポリヘキサニド・ヨードなど)を含むもの」を薬剤師に相談しながら選ぶことをおすすめします。「傷が長引いている」「かゆみがおさまらない」という場合は、まず皮膚科・形成外科への受診を検討するのが最善です。
被覆材を選んだら次はこまめな交換が原則です。バイオフィルムは24時間以内に再形成を始めるため、被覆材の交換頻度も治癒に直結します。医師や看護師の指示に従いながら、適切な頻度で交換することが大切です。
参考:Wound Hygieneの4ステップと被覆材の実例(NPO法人創傷治癒センター)
NPO法人創傷治癒センター:Wound hygiene コンセンサスドキュメント(日本語版)
ここまで読んでいただいた方に向けて、すぐに実践できる具体的なポイントをまとめます。医療機関でのケアが必要な創傷の場合は必ず医師・看護師に相談することが前提ですが、日常的なスキンケアとして実践できる内容も含まれています。
🔍 今のケアを見直す3つの確認ポイント
まず確認してほしいのは、洗い方の問題です。「水道水やシャワーで流すだけ」になっていないかをチェックしてください。バイオフィルムの除去には界面活性剤を含む洗浄剤が必要で、浸けるだけや流すだけでは剥がせません。
次に、洗う範囲です。傷口の周囲10〜20cm(はがき1枚分ほど)を含めて洗浄できているかを確認してください。創周囲の皮膚に付着した菌が感染源になることがあります。
最後は洗浄時間です。わずか3〜5秒で終わらせていませんか。少なくとも20秒、感染が疑われる場合は1分以上かけることが推奨されています。
✅ かゆみ対策としての日常スキンケアのポイント
- 🧴 洗浄剤は弱酸性のプッシュ式泡タイプを選ぶ(皮膚への刺激が少なく、バイオフィルムも落ちやすい)
- 💧 洗い流しは十分な量のお湯を使い、泡が残らないようにする
- 🌡️ お湯の温度は37〜38℃の微温湯が理想(熱すぎると皮膚バリアを傷める)
- 🖐️ 洗浄後はすぐに保湿剤(ヒルドイドソフト®・ワセリン等)で皮膚を保護する
- 🩹 傷がある場合は、ただの絆創膏より抗菌成分入り被覆材を薬剤師に相談して選ぶ
- 📅 1か月以上治らない傷やかゆみは皮膚科・形成外科を受診する
かゆみが1か月以上続くなら受診が条件です。
⚠️ やってはいけないNGケア
- イソジン(ポビドンヨード)の原液を傷口に直接塗る→肉芽組織を傷める可能性がある
- 市販の抗生物質入り軟膏を長期間使い続ける→耐性菌が生じるリスクがある
- 固形石鹸をつけてすぐ洗い流す→泡立ちが不十分で洗浄効果が低い
- フィルム系ドレッシングで密封したまま交換しない→嫌気性菌の増殖リスクがある
バイオフィルムは目に見えないため、「傷がきれいに見える」という理由だけで問題がないと判断できないのが厄介なところです。かゆみが続く、傷が長引くという状況では、バイオフィルムを疑い、洗浄方法を根本から見直すことが改善への近道になります。
参考:褥瘡治療と創洗浄に関する詳細なガイドライン(日本褥瘡学会)
日本褥瘡学会:褥瘡の治療について(一般向け情報)